自分を活かして 相手を活かして 今を活かす

はじめに

こんにちは、おかちゃんせんせいです!
新しくブログ開設するにあたり、まずは簡単な自己紹介から始めたいと思います。

現在子育てしながら、ご機嫌な毎日を意識して過ごしている2児の父です。
趣味は、アニメや漫画鑑賞、散歩、サイクリングです。

小学生の頃はサッカー部。
中学生はバスケットボール部。
高校生以降はバレーボール部に所属。

根っからの球技大好き少年として育ちました。

学生時代は環境問題に興味があり、大学院でも研究しましたが、
ある衝撃的な事実を知り、博士課程に進むのは断念。
ならばと、就職活動することを決めますが、就活する中で環境問題を仕事にすることに違和感がして、大手IT企業に就職。

製品を開発する側でしたが、エンドユーザーの現状・要望の差を痛感していく中で
「できる限り色々な業種で働いてみたい」
と思うようになり、1年弱で転職。

派遣社員として、不動産・製造業・小売業・教育・経営コンサルなど幅広い業種、会社での経験を経て、現在フリーランスとして活動しています。



そんな自分が昨年まったくご縁のない場所に引っ越して以来、
特にご機嫌でいるために意識していることが3つあります。

ご機嫌でいるための3箇条
  • 妥協せず一番を選ぶ
  • 我慢はせず、まずはやってみる
  • 自分の機嫌は自分で取ると決める

今までの人生はやっぱり人の目が気になって、人前では自分を後回しにする傾向が強かったです。

それで頼りにされることは嬉しくもありましたが、知らないところで我慢が積み重なっていて、自分で体調を崩してしまったことがありました。。。

相手の想いを大事にして、自分の想いを押し殺して妥協したことも何度かありましたが、、、

よくよく過去を振り返ってみると、
妥協せずチャレンジしたことの後悔は一回もないですが、
妥協した場合は上手くいかずに結局後悔しかなかったという……。

だからこそ、今は自分にとって出来る範囲から思考を変えて、
誰かではなく自分でご機嫌をとって、
日常生活を送れるかどうか実験真っ最中なのです。
 
 

では、そんな自分がなぜ教育に関するブログを始めたいと思ったのかについて、お話ししたいと思います。

おかちゃん
せんせい
おかちゃん せんせい

そもそも教育に興味を抱くきっかけとなる出来事は、数えてみたところ少なくとも6回もありました。

◆お知らせ◆

【まとめ記事】

現在、これまで書いてきた記事をテーマ別にまとめています。

詳しくはこちらから

教育に興味を抱くようになったきっかけ

その1:小学4年生

最初のきっかけは、自分が小学4年生の時。

この時の担任であるM先生(女性)に出会っていなければ、そもそも教育どころか勉強が楽しいと思うこともなかったと言っても過言ではありません。

ただ、M先生と初めて出会った頃は「怖い」という印象がとても強く、早く1年が終わって欲しいと切に願っていたんです。

けれど、いつの頃からか分かりませんが、ぼく以外の同級生もM先生を慕うようになっていたのです。

きっかけは人それぞれかもしれませんが、ぼくの場合、勉強は工夫次第で楽しくなるということを実体験したことが大きい!

それまで勉強は嫌々やっていたし、楽しいと思うことなんてなかったですから。

別にそれで成績が大きく向上したわけではなかったですが、この時少しでも勉強は工夫次第で楽しくなるという経験をしていなかったら、その先まったく違った人生になっていたと思います。

その2:浪人時代

大学受験は国公立大学一本で考えていましたが、現役合格は叶わず浪人することに。

そこでYゼミに通ったのですが、講師陣の先生がとても楽しそうに講義をしている姿と、教え方を工夫している姿勢に感動しました。

ただ、浪人の時は感動するだけで終わってしまいまして、、、

結局まだ現役に続き、国立大学受験は失敗。
現役時代、まったく勉強しなくても余裕で合格できる県内の私立大学に入学することになりました。

けれど、入学してみたら、その大学の教授陣は元京大教授ばかり!
自分が興味を持つことのできる授業も結構あって、浪人受験失敗をバネにして、資格の勉強や大学の講義に熱心に取り組むことができました。

もし浪人せず現役で受かっていたら——。

もし国公立大学に合格できて、そのことに満足していたら——。

受験後も熱心に勉強することはきっとなかったと思っています。

その3:大学2年生

そして、大学2年生の時には家庭教師のアルバイトを経験しました。

この時の生徒は、中学3年生のちょっとシャイな男の子。

テストの成績は中の真ん中くらいだけど、人柄のおかげで成績の割には内申点は高い。

そんな子が志望校に選んでいたのは、県内でもトップ3に入るくらいの有名公立校。
正直内申もそうでしたが、テストの成績ではどう転んでも合格できる可能性は皆無な状況からのスタートでした。

どうしてその高校に行きたいのか、詳しくは語ってはくれませんでしたが、親や先生に志望校を変えるように促されても変えずにいて。

その姿を見て、ぼくにできることはないか、真剣に考えました。

一緒に参考書や参考書を選ぶために本屋に行ったこともありましたが、その子にとってピッタリな問題集はあまりなくて。

結局ぼくが問題集を買って、生徒用にオリジナル問題を作って、家庭教師の時間には解いてもらうことにしました。

そして、彼が一番ネックになっているのが数学の文章問題であることがわかったので、一緒にいる時間はとにかく文章問題の攻略を最優先に。

すると、彼の頑張りの成果が数学の成績として次第に出始めて、その影響は他の教科にも。

もちろんテストの成績だけでなく、内申点も受験前には合格ラインに達していて、見事志望校合格したんです!

合格したのはすべて彼の頑張りあってのことですが、ぼくはそのお手伝いとして、相手にとって合う勉強法を工夫する経験をつめたことがとても大きな財産になりました。

 

派生ですが、ぼくが家庭教師をやっていることを知った彼と同じ中3の従妹から、「勉強を教えて欲しい」ともうすぐ受験となる1月に依頼を受けたんです。

彼女も別に成績が悪くなかったですが、志望校の合格ラインにはまだ達していなくて。

それならばと、片道2時間以上かけて電車に乗って従妹のいる隣りの県に、毎週通うことに。

その彼女も苦手だった数学をある程度克服できたことで、志望校に無事合格!

この二人に勉強を教えた経験は、今でも人に何かを教えたり、伝えたりするときに役立っています。

その4:大学4年生

大学4年生、つまり、ゼミでの1年間は、まさに最高の1年にすると決めた通りの時間でした。

文系大学で唯一の理系ゼミで、ぼくは琵琶湖に流れる河川の水質分析をしました。

このゼミに在籍して本当に良かったと思えることが3つあります。

まず1つ目は、自分たちで自由に実験スケジュールを組めたり、ゼミ運営を任されていたりしたこと。
実験に必要な器具や、消耗品については、一斉棚卸しをした上で、自分たちで発注したり、買い出しに行ったり。

そして、2つ目は、ゼミの同期の存在です。
男女合わせて12名でしたが、毎日ゼミ室に集まって、実験したり、合間にご飯食べに行ったり、遊んだりして。
朝10時から夜10時まで研究室にいましたが、彼らの存在がなかったらきっと楽しめなかったと思う場面はたくさんあります。

3つ目は、恩師となるK先生との出会いです。
ぼくらが安心して研究できていたのは、K先生の存在あってと言っても過言ではありませんでした。

K先生にまつわる話はたくさんありますが、ぼくが一番印象に残っているのは先生の現状把握能力の高さです。

先生はとにかく毎日多忙で、大学にいるのは週に1・2回くらい。
当然ゼミ室に顔を出されても、すぐにどこかに行ってしまう感じ——なんですが。

毎週あったゼミMTGでは、なぜかぼくたち自身以上にぼくらの状況をやたら正確に把握していたんです!(◎_◎;)

会話もしていなかったのに、同期が悩んでいることを誰にも話していなかったことを察する場面は、一度や二度ではありませんでした。

正直監視カメラがあってもわからないことをわかってしまう先生のことが、逆に恐ろしくもありましたが・・・
 
 
なぜぼくらのことがよくわかったか、その要因については卒業した後に知りました。

先生は当時60歳を過ぎており、当然教え子も数多くいます。
そんな先生が毎晩寝る前にしていること——それは、これまでの教え子のリストを見て、名前で顔やどんな教え子だったか思い出せるのか確認しているようなのです。

そんな風に、生徒に向き合ってくれる先生はM先生以来で。

ぼくが教育を意識するようになったきっかけの人といえば、間違いなくM先生とK先生なのです!

その5:大学院1年生

冒頭でも述べましたが、
大学院で博士課程に進まずに就活したのですが、、、

実は、当時とにかく就活するのが嫌で嫌で。
特に、面接。

なんで嫌なのか自分でもよくわかっていませんでしが、
ある面接で面接官の方に言ってもらえた一言のおかげで
なぜ面接を避けたいと思った理由がわかったのです。

横浜の関内に本社がある会社の面接を受けに行った時のこと。

面接は集団面接。
自分の話す番が来た時、ぼくは予め用意していた自己紹介(長所や短所)を話しました。

その後、筆記試験があって、終わった後にフリータイムとして、
面接の結果には関係なく、まだ若い女性面接官の方とお話しできるチャンスがありました。

ただ、当時のぼくは進んで会話をすることができず、
なんとなくその場に残っていたんです。

すると、面接官の方から突然——

「あなたが話された長所ですが、私はもっとあると感じましたよ」
と笑顔で伝えてもらたんです!

なんかそのことが滅茶苦茶嬉しくて……。

「自分には面接で優位になるような長所なんかない」
と思い込んで面接用の長所を用意していたけれど、
面接官の方の一言で初めて自分に関心を持てたのです!
 
 

それから、もう一度自己分析を一からやり直しました。

この時購入した本は今でも残っています。

 
 
この本で実践したことを通じてわかったことは、
なぜ自分は面接が嫌で嫌で仕方なかったのか、ということ。

その理由は、
ただでさえ自分でも知らない自分のことを
誰かに聞かれても困る〜!

という状況だったからw

だから、面接という場を無意識に避けていたようです。

 

ところが、自分のことがわかってくると面白いもので、
今度は逆に誰かに自分のことを訊いてもらいたくなってきて。

だから、イヤイヤしていた就活が、
いつの間にか楽しくなってきたんです!

 
それで、楽しんで面接を受けていたら、
気が付いたら第1希望と第2希望の会社から内定が♪

第2希望の方の会社こそが、
ぼくの就活に対する姿勢を変えるきっかけを与えてくれた
女性面接官の方が在籍しているところでした。

結局その会社の内定はお断りして、
第1希望の会社に就職しましたが、
この頃から

自分も人事の立場になって、
同じように悩んでいる就活生たちの力になりたい!!

と思うようになり、人事の仕事や研修にも興味を抱くようになりました。

その6:大学院2年生

こちらについては、別の記事でピックアップしてます!

キーワードは、
心から叫べ
です!

妄想講演会!今だからこそ伝えたいことがある

 

 

教育ではなく協育を目指す

社会人になってからも、色々な出会いやきっかけがあって今があります。
その中で、「教育」ではなくて、「協育」をしたいと思うきっかけは妻との出会いでした。

教育というと、教える立場と教えられる立場がいて、
コミュニケーションのベクトルは
教える立場→教えられる立場
につい偏りがちです。

これは教育に限らず、
友人や家族、恋人、夫婦間でのコミュニケーションでも言えます。

ついつい、二者間でコミュニケーションを図ろうと考えがちですが、
実は利害関係がまったくない第3の存在がいた方が
結果的に上手くコミュニケーションが図れるようになるケースが少なくありません。

なぜなら、関係性が近ければ近いほど、
その相手からの発言は逆に受け入れ難かったり、
自分でもびっくりするくらいに頑なになったりしまいがち
です。

ちなみに、ぼく自身がそうでした。
妻のことを考えれば考えるほど、逆に関係性は悪くなったことがありまして。。。

けれど、第三者の存在のおかげで彼女だけではなく、
自分自身にも向き合うことができるようになった経験が何度かあります。

そのような経験から、
日常生活は自他とのコミュニケーションの連続だからこそ、
さまざまな繋がりの中から互いに育て合う場を創っていきたい!

そういう想いを抱くようになり、
「教育」ではなく「協育」
を日々意識する毎日です。

 

 

今できること

今すぐにでもできることといえば、協育を一番意識できるツールであるマインドマップをお伝えすること。

10年前に学んでから、講師として個人の方や企業、役所などでも全国15箇所でお伝えさせていただいております。

今はオンライン講座も開催しており、頭の中で散らかっている思考や情報を整理したい方や、自分と向き合いたい方などに好評いただいております。

次のステップとして、子どもたちに向けてもお伝えする場を創りたいと考えて、情報を発信し始めたところです。
 
 

周りの人や環境がどうとかではなく、そもそも自分は普段からどんなことを意識しているのか?

何を大事にして、これからどうなっていきたいのか?

一人で悩みを抱えずに、安心して一緒に感じて、考えて、行動できる場を
これから創っていきます。

 

同じような想いの方がいましたら、
とても心強いです。

最後まで長文を読んでくださり、ありがとうございました。