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【協育】子育ては親育てでもある

こんにちは、おかちゃんせんせいです!

協育をする絶好の環境・機会の一つとして、
子育て
があります!

ピョン吉
ピョン吉

おかちゃんせんせい、
子育てって大変って聞くけど本当なの?

おかちゃん
せんせい
おかちゃん せんせい

大変というよりも、
毎日が新鮮と感じる瞬間の方が多いですね。

ピョン吉
ピョン吉

でも、結局大変なんだろ〜。

俺は子育てより仕事に専念していたいかも。

冬ちゃん
冬ちゃん

え〜、私は子育てに興味があるな〜!
今までどんな感じだったか教えてもらえますか?


現在、3歳と1歳の息子がいます。

彼らと触れ合う中で、
よく思い出す言葉があります。

その言葉は、長男が出産後退院する際に、
助産師さんの方からエールとして贈ってもらったと思っている言葉です。

助産師さんからのエール

子育ては選択の連続ですよ

◆お知らせ◆

【まとめ記事】

現在、これまで書いてきた記事をテーマ別にまとめています。

詳しくはこちらから

子育ては選択の連続

1歳になる次男くんはついこないだハイハイするようになったと思ったら、もう立ち上がるようになり、毎日歩くチャレンジをしています。

そんな日々成長が著しい子どもたちと関わると、本当に選択の連続です。

子育てを振り返ってみて、特に大きな分岐点となる選択をした瞬間をピックアップしてみます。

妊娠期間

妻の妊娠が判明した時から選択は始まりました。

まずは、どこで出産するかを決めるのか?

妻の希望で自然分娩が出来るクリニックを探していたら、たまたま当時住んでいたところの近くで発見。

順調に成長しているという話に安心していたら、妊娠初期の健診で先生からある警告を受けました。

「チョコレート嚢胞の疑いがあります。セカンドオピニオンを見つけて、出来るだけ早く手術してください」

先生の話を聴く限りでは、チョコレート嚢胞とは卵巣に出来た腫瘍のこと。
「放置したまま出産すると、腫瘍が破裂して出血する可能性があって、場合によっては母子ともに命に関わる」
と何度も脅されました。

けれど、妻はそんな脅しにまったく動じることなく、先生にこう言い放ちました。

「自分で治す術を探します」と。

正直、ぼくは動揺していました。
母子ともに命の危険があると言われれば当然です。

けれど、妻と今後どうするか話してみると、自暴自棄になっている感じられなくて。
だから、ぼくは妻の選択を信じることにしました。

妻は治す術を探す中で、食事療法で治ったという記事を見つけ、すぐに食事療法を実践し始めたのです。

食事療法とは食事制限と言い換えることもできて、妻に合う食事ができるように徹底。
妻の場合は、切り干し大根やカボチャ、そばが体に合うことが分かり、
カボチャの食べ過ぎで妻の手が黄色くなったのは今となっては懐かしい思い出です。

食事療法を徹底して1ヶ月後。
健診を受けてみると、先生にとっては衝撃的な事実が発覚。

その時の妻とのやりとりは今でも忘れません。

先生
先生

あれ、腫瘍が小さくなってますね・・・

妻

実は、食事療法を始めたんですよ

先生
先生

食事療法では治りませんよ。

念のため、手術は受けてくださいね。

・・・

この後、妻はまったく先生の話を聞かなくなりました(笑)

そして、面白いのはその後4Dカメラでお腹の中にいる赤ちゃんを撮影しようとした際、赤ちゃんが姿がまったく映らなかったのです!

まるで、妻の態度が赤ちゃんに伝わっているかのように・・・(`・ω・´)


出産

そんなやりとりがあった頃、ちょうどぼくの地元である愛知県に帰ろうかという話も出ていて。

そうしたら、妻が「どうせ愛知県に引っ越すなら、通いたい助産院がある」と。
それならばと、決めたのが3月初旬で、その月末には地元に引っ越していましたw

妻が通いたいと言っていたところは吉村医院という、自然なお産を意識しているお母さんたちには知られている、結構有名なところ。

 

吉村医院には古民家があって、そこで適度な運動や釜戸で炊いたご飯が食べれたりしたのですが、、、
妻が出産した翌年くらいになくなってしまったらしく、とても残念。。。

けれど、それを差し引いても魅力的な医院で、スタッフの方々も素敵な方ばかり。
そんな環境で出産までの時間を過ごせたことは、とても有難いひと時でした。

そして、出産間近で再び選択の場面が。
妻は出産予定日前に陣痛が起きて、入院したものの全然産まれる気配はなくて。
ただ陣痛の痛みだけは続いていたようで、ぼくは背中をさすることしかできませんでした。 

陣痛促進剤を打ったり、帝王切開をしたりすれば痛みから逃れることができたかもしれません。
けれど、母子ともに命に別状がない限り、あくまで自然なお産を希望した妻。

結局長男が産まれたのは、陣痛が始まってから52時間後。
妻はかなり体力を消費していましたが、自然な分娩で無事に出産を終えることができました。 

そんな中、長男は産まれてすぐに妻のお腹の上に置かれると、おっぱいを探して、ぎこちなく吸い始めたんです!
その光景に、言葉にならないくらい感動しましたのを、今でも覚えています。

長男も52時間頑張ったのに、産まれてきてくれてすぐに生きる意志を見せてくれたことに。

その後、無事に退院できた妻が、
「ここで産めてよかった!」
と心から喜んでいる姿を見て、ここを選んで、妻の意志を尊重できて良かったと思えたのでした。

乳幼児

退院した後、便秘気味だったり、鼻の調子が悪かったりと、他にも色々なことであたふたしながら子育てする毎日。

そして、子育てをスタートして、最初の大きな分岐点にさしかかりました。 
それは、
ワクチンを打つのかどうか
という選択です。

これはあくまでぼくたち夫婦の考えですが、そもそもワクチンは必要ないと思っていました。

例えば、インフルエンザの予防接種。
周囲の知人の話を聞くと、あれって打った人の方が毎年かかっていて、打っていないぼくと妻のような人は毎年かかっていないことの方が圧倒的に多いという事実。
だから、ワクチンは何があっても自分たちは打たないと決めています。 

けれど、子どもが打つのか打たないのかは初めての選択。
子どもは選べないので、ぼくらは改めてネットで調べたり、漢方の先生に相談したり、本を何冊か買って調べたり。
とにかく自分たちで判断できる材料を探しまくりました。

なぜなら、検診の際には何も考えていないと、さも打つことが当然かのように、ワクチンを打たれてしまうから

そして、情報を収集して整理した結果、ワクチンは打たせないという結論を下したのです。 

ちなみに、長男も次男もワクチンは打っていませんし、風邪気味でも薬は処方していませんが、今のところ寝込むような風邪は引いたことありません。

すこぶる元気に育ってくれています♪

保育園

ワクチン問題の後、次の大きな分岐点といえば、保育園・幼稚園はどこにするのかの選択です。

長男が歩けるようになった1歳3ヶ月の頃、妻が理想的な保育園を見つけたと言って、そこに入園することにしました。 
そこは自然な環境で育てることができ、食事にも気を遣っていて、先生たちも素敵な先生ばかりでしたが——

保護者の負担が大きいこと。

そして、何よりみんな一緒でなければならないという環境に、子どもを預けるのが耐えられなくなり、半年で退園することに決めました。

妻が次男を妊娠したことも退園を後押ししたのですが、どうやらぼくら夫婦にとっては

「子どもにはのびのび育ってほしい」

「子どもが選択したことを尊重してもらえる環境にしたい」

ということが、最優先事項であることを、実際に保育園に入れてみてわかりました。

その後、他の保育園や幼稚園に見学、体験入園したりしましたが、ピンッと来る場所は見つからず。
結局見つかったのは、まったく縁のない栃木県にある保育園でした。

そこに決めるまでの経緯については、また別記事で書きたいと思いますが、この時もまさに運命の選択の時でした。 

面倒を見てもらえる両親から離れること。
縁のない環境に引っ越すこと。
仕事を辞めなければならないこと。 

諦める理由はいくらでもありました。

しかし、1年じっくり考えた上で、ここだと思う保育園に通うことを決め、現在2人の息子たちはそこに通っています。

子育ては親育て

かなり途中端折ったことは多いですが、こうやって簡単に振り返ってみて、まさに選択の連続でした。

そんな選択をする場面では
周りがどうこうではなくて、まずは自分たちで考えたり、調べたりしてみる
ということを大事にする——これが、ぼくら夫婦の子育てのベースになっています。

そして、子育てをしてみて改めて実感するのは、
どの子にとっても正解な子育てはない
ということ。

うちの2人の息子にしたって、2人とも成長の具合は異なります。
長男の時は苦戦したことが、次男ではあっさりいくこともあれば、その逆もあります。

それなのに周りの子と比べたり、育児本を読んだりすると、親は勝手に悩み始めてしまいます。

「うちの子は大丈夫かな・・・」と。

そして、なんとか周りや育児が成功したと言っている人の通りに、子どもを育てようとすると、さらに悩みが出てきます。
子どもはそう簡単に親の言いなりにはならないから(笑)

思った通りにしてくれないし、思った通りに事が運ぶ——な〜んてことはほとんどありません。
なので、イラッとする瞬間も度々あります。

けれど、その度に逆に気付かされます。

「あ〜、自分はこんな感じで自由に生きたいんだなぁ」とか

「余裕がないんだなぁ」とか

「こうすることが当たり前だと思ってたんだなぁ」とか

きっと子育てをしていなかったら、知識としてしか知らなかったことが、子どもと触れ合うことで気付くチャンスを得ています。

そして、一瞬一瞬が学びの連続だと言うことも。

だからこそ、ぼくは子育ては親育てだと思うようにしています。
そう思うと、子どもとの向き合い方も変わり、日が経つに従って、ぼくが勝手にイライラする場面も減ってきています。

親が子を一方的に教育するというスタンスではなく、お互い影響し合って育て合う——これぞ、まさに協育。

そんなスタンスもあると言うことを、これから日常の体験談を踏まえて発信していきます。

その情報が子育てに悩んでいるお父さん・お母さんたちにとって、自分たちの家族のことを改めて考えるきっかけになることを願って。

まとめ

生まれてきた瞬間——正確に言えば、妊娠した瞬間から子どもたちはすでに親たちにいろいろなものを与えてくれます。

ぼくの場合、それまで夫婦の時間がなかったのが、妻が妊娠したことで一緒に散歩する時間ができました。

そして、毎日一緒にいるだけ、たくさん笑顔でいる瞬間ができました。
子どもたちの笑っている顔も好きですが、泣いている顔や、困っている顔、拗ねてる顔もとっても可愛く思えます。

抱っこをさせてもらうことで、ぼく自身が安心できたり、心が満たされたりしています。

子どものおかげで、これまで興味がなかったことに興味を持てるようになったり、行ったことのない場所に行けたり、ぼくら夫婦だけの時では体験できなかったことをたくさん体験させてもらっています。

どんな体験をしたとしても、受け取り方次第。
その魅力を思う存分体験できるのが、ぼくにとっての子育てです。

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