こんにちは、おかちゃんせんせいです!
最近「嫌われる勇気」を久しぶりに再読したという記事を書きました。
【気まま日記】久しぶりの再読「嫌われる勇気」 【整理マップWOM】嫌われる勇気Vol.2そして、本を読んだらまずは日常生活で実践するようにしている中で、昨夜一つの気づきがありました。
子どもたちが最近好きで見ている「パウパトロール」というアニメというのがあるのですが、私はどうしてもそのアニメが苦手で。
何が苦手だと判断させているのかというのがわからずにいたのですが、
昨夜アニメのセリフを聞いていて感じたこと。
それは——
なんでもトラブルがあると「パウパトロール」に頼んで、
「パウパトロール」がなんでもパーフェクトに解決する
という物語がどうも体が受け付けないようで。。。
トラブルがあった時にまず自分で解決しようとしない感じもそうだし、なんでも解決してあげますよ的な感じも。
お互い依存し合っているように感じてしまって全然楽しめないし、セリフを聞いているだけでイライラしてきてしまう。。。
その一方で、子どもたちはとても楽しそうに見ているという事実もあり。
これを「原因論」的観点からみると、
イライラさせているのは「パウパトロール」が原因
となるかもしれない。
けれど、
「パウパトロール」を見ることで楽しんでいる
という子どもたちの例外がある。
「目的論」的観点からみると、
イライラするために「パウパトロール」を見ている
ということに。
でも、なんでイライラするのか向き合ってみると、イライラするタイミングは余裕がないときや、思い通りにならないことがあったときがほとんどで。
それで、イライラしている気持ちを発散するために、「パウパトロール」をそのように捉えようとしている感じがしました。
だから、仮に今の思考のまま「パウパトロール」を見なくしたとしても、イライラを発散する対象が変わるだけで何も解決はしないんだろうな〜っと。
原因論はすぐに論理が破綻する上に、考えれば考えるほど迷宮入りしちゃうんだなっというのを感じた時間でした。