こんにちは、おかちゃんせんせいです!
昨夜は保育園の役員会の集まりに参加してきました。
その最中で他の家族の夫婦間の悩みを聞いたときに、
「なんとかしてあげたい」
と強く思う自分が。
その気持ちは優しさかもしれませんが
他者への介入でしかないと思うのと同時に
この気持ちは自己満足でしかないのだと気づきました。
まだ相手から直接相談を受けていれば別ですが、、、
仮に相談受けていたとしても
解決策をアドバイスするのではなく、
自分と向き合うきっかけをつくることしかできないと今は感じています。
というのも、
特に人間関係の悩みは
自分の悩みと他者の悩みがごちゃまぜになり、
互いに自分の現状がよくわからなくなるからこそ生じます。
別の言い方をすると、
自分が悩みだと思っていることに他者が起因すると考えている時点で、すれ違いは必ず起きます。
相手に不平不満があるときには、
その箇所を指摘することで相手から無意義にマウントを取ろうとしている可能性もあります。
なぜマウントを取ろうとするのかというと、自分が相手より優位になっていないと不安になる思考をしているから。
だから、自分の優位性に保つために、他者の不平不満な部分を表面化させてしまっている可能性があるということになります。
離婚や破局の原因を聞けば、ほとんどが相手の悪いところを指摘し、自分を正当化している内容ばかりではないでしょうか。
もし自分にとって心地よい人間関係を築きたければ、相手の行動や言動にイラッとしてしまったときがキーポイント。
意識を相手から自分に向けてみると、怒るきっかけは相手だとしても、怒りの原点・源は自らにあることに気付くことができます。
そうやってまずは自分を受け入れることで、ようやく他者とやりとりする準備が整うのだと、実体験から私はそのように考えるようになりました。
最近読んでいる嫌われる勇気は、これまでの実体験したことを咀嚼するのにとても役立っています。
また、子どもたちが通っている小俣幼児生活団のことを理解するのにも役立っています。
園のベースになっている考え方はアドラーの個人心理学からきていると捉えると、
なぜ先生方はあそこまで子どもたちに寄り添えるのか?
についての理解が深まります。
あり方も素敵だなっと思うのは、
「アドラー的にはこうするといいですよ」
というような感じで知識を押し付けることもないこと。
よくコーチングや心理学などで学んだことが
さも正しいかのように、
万人に通じるかのように、
それらを武器に言いくるめている人たちをこれまでたくさん見てきました。
けれど、私にはどうしてもその態度が違和感でしかなくて。
別に良い悪いの話ではなく。
だからこそ、その感覚を大事にしたいと思うので、
なんとかしたい
という想いを大義名分に不用意に他者に介入するのは避けてよかったと、今は感じています。
悩みを解決することが目的になってしまうと、
本末転倒な状況になってしまうので。
子育てをしていてもつい「子どものために」とあれこれ口を出してしまいそうになるので、今大事にしたいことを常に念頭に置いて、今を楽しんでいる子どもたちと接していきたいと思います。
それでは、今日も一日絶好調で!