こんにちは、おかちゃんせんせいです!
今回は子育て真っ最中で、その中での気づきをシェアします。
きっと子育て世代だけではなく、学生や、社会人の方で、人間関係で悩んでいる方にとって、思考を変えるきっかけになるかと(^^)/
- プライベートや学校、職場での人間関係に悩んでいる方
- 子育て中で、子どもとのやりとりでついカッとして怒ってしまうことに自己嫌悪してしまう方
目次
相手を卑下する言葉を使うのは良い?悪い?
最近、長男くんがどこで覚えたのか相手を卑下する言葉を時々使います。
「おとうさん、バーカ!」
「おとうさんなんてだいっきらい!」
正直言われた瞬間はウッときます・・・
が、彼にかける言葉には気をつけています。
「別に嫌いでもいいよ。お父さんは好きだからね」
と伝えた後に、このように質問します。
「同じように『嫌い』とか『バカ』って言われたい?」
すると、しばらく長男くんは考えて——
「……いわれたくない」
と彼なりの答えを返してくれます。
◯◯していいのは◯◯する覚悟のある奴だけだ
このやりとりをすると、いつもある大ヒットアニメの主人公の台詞がパッと脳裏に蘇ります。
「撃っていいのは、撃たれる覚悟のある奴だけだ」
コードギアスの主人公であるルルーシュ・ランペルージが、拳銃を向けてくる相手に対して言い放った言葉です。
この言葉って、シンプルだけどすごい的を得てる言葉で、他のいろんなことにも同じようなことが言えることを最近特に実感しています。
相手を卑下する言葉を言いたい人は別に言えばいい、とぼくは思っています。
だから、長男くんにも「言ってはダメ」と注意をせず、「言われたい?」と尋ねるだけに留めています。
言われても良いと思うのか、嫌と思うのかは人それぞれ違います。
自分で判断して、選択する習慣を我が家では大切にしています。
また、自分も小さい頃悪口や無視をしてきたことがあるからこそ、わかることが2つあります。
それは、
・されるのが嫌なことを先に自分からしたくなること
・そのために、大義名分を探している自分がいること
の2つです。
やられる覚悟はないことはしないほうがいいかも?
自分が正しくて、相手が悪い?
喧嘩して無視されるのが嫌だから、先に無視する
この思考パターンでいるときの状況で面白いのは、同時に自分が無視するための口実——いわゆる大義名分も探していることです。
恋愛や夫婦間のトラブルでよくありがちな例で言うと、
相手から愛想を尽かされるという状況が嫌だから、相手の態度が原因で自分が愛想を尽かすパターンです。
自分は正しくて、相手が悪い状況を作り出す——つまり、自己保身です。
または、真逆の自己嫌悪です。
この状態になっていると、相手(自分)の粗探しをしています。
相手(自分)の至らないこと、欠点などしか考えなくなります。
ぼくが高校時代にあったのは、当時付き合っていた彼女が何かにつけて元彼の話をしてくるのが嫌で、それを理由にぼくから別れ話を持ちかけたことです。
最もな理由かもしれませんが、はっきり言ってただの嫉妬です。
その元彼とぼくが知人関係だったのもありますが・・・
もしぼくが本当に彼女のことを大切に想っているのであれば、もっと自分の方に振り向いてもらうための努力だってできたでしょう。
けれど、いつか彼女がぼくを振って、また元彼と復縁するのが怖くて、ぼくから切り出したのです。
自他問わず卑下しているときこそ要チェック!
そうすることが良いとか悪いとかではなく、相手を卑下しているときこそ、自分の気持ちに向き合ってみることが大切なのではないかという話です。
相手に対して、裏切り者扱いしたり、仲間外れしたりするとき、あなた自身は逆に相手からそうされる(思われる)覚悟があるのか、ということです。
以前に期待していた人(Aさん)に裏切られた、という人の話の相談を何件か受けたことがあります。
しかし、よくよく話を聴いてみると、Aさんのプライベート問題に対して反応してるだけで、直接的に何か嫌がらせを受けたわけではないこと。
そして、Aさんへの期待値が高い人ほど、「裏切られた」と思っていること。
何を持って裏切りとするかの基準は人それぞれですが、たいてい自分が相手に対して期待していたことに反する行為をしたとき、「裏切った」と定義するようです。
裏切った人物を作ること、悪役を作ることで自分の正しさを主張する。
けれど、相手の立場を弱めて、自分の立場を強く見せようとしても、いつも相手から自分にとって不利益なことをされるんじゃないかという不安からは逃れることはできません。
日常生活におけるコミュニケーションで活かす
人間関係で悩みを生じると、それがストレスとなって愚痴として表現したくなります。
ポイントになるのは、愚痴として表現したくなった時に我慢せずに向き合い、発散すること。
頭の中だけで考えていると、常に不安や恐怖、疑心暗鬼の思考が永遠ループしているので、できれば紙に書いて見える化するか、まずは何も考えない時間を作ることをお勧めします。
たいてい誰かや何かのせいにしているときには、自己保身や自己嫌悪にさえなまれているとき。
でも、この歌の歌詞にある通りあくまで自己満足。
繰り返される自己嫌悪とか そんなは自己満足
踏み出せない自分を 許すだけのものなんです
ささやかな / Rotti
自己保身や自己嫌悪をすることに対して、良い悪いの判断は必要ありません。
ただ、自分の悩む思考の癖がわからない限りは、望まない不安や恐怖、怒りのループから抜け出すことは難しいです。
もし自分の望まない展開に遭遇したときには、自分と向き合える時間を日常生活で作ってみませんか?
それこそ、1日の1%である15分だけでも。
ちなみに、ぼくであればマインドマップを描いて考えていることの見える化をします。
もし頭の中がグチャグチャしすぎていると感じる場合には、散歩をしたり、サイクリングをしたりすることで凝り固まった考えをリフレッシュしたりする時間を確保するようにしています。
みなさんなら日常生活の中で、どのようにして自分と向き合う時間を確保しますか?
人間関係でイライラしているとき、その引き金は誰かや何かかもしれませんが、根本原因は自分自身にあります。
子育てをしていても、イライラするときはたいていぼく自身に余裕がないときだけ。
子どもをどんなに叱りつけて、言うことをきかせたとしても、根本が変わらなければイライラがなくなることはありませんから。
是非今一度自分の日常生活に向き合ってみていただき、この記事がご機嫌な毎日を過ごすきっかけになれば幸いです。
最後まで読んでいただき、ありがとうございました!
誰かや何かに対して大義名分を掲げたとき
→自分と向き合う絶好のチャンス