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【工夫の極意】暗殺教室から学ぶシリーズ6−1「こいつなら・・・」

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まえがき

今回のテーマは「依存」です。

依存というフレーズを聞くと、どちらかと言うとあまりいい意味では使われない言葉。
その背景について、殺せんせーが語っているシーンです。

溺れる時間

頼られたら全部応えるのがリーダー?

E組には頼れるリーダーが2人いる。

一人はE組男子の学級委員であり、貧乏であること以外欠点や嫌味なところが全くない磯貝悠馬。
もう一人もE組女子学級委員で、文武両道でスタイル抜群。「イケメンメグ(通称イケメグ)」という渾名を持つ片岡メグ。

2人に共通しているのは、学級委員であることと、責任感があり、集団をまとめる力があるところ。
ところが、その責任感の持ち方は少し違って、磯貝は責任感はあるけれど、全部自分自身でその責任を負うことはなく、状況に応じては周囲の力を借りる柔軟性がある。
一方で、片岡は頼られたら断れなく、全部自分で抱え込んでしまう癖がある。
そのことが原因で、2年生の時に同級生だった多川心菜からある事件から逆恨みされ、勉強の手伝いを強要されるのを断れずにいた。
ある事件とは、片岡が彼女に泳ぎ方を教えていたが、彼女の慢心が原因で海で溺れ、救助沙汰になったことである。

それ以来、片岡は苦手科目の成績が低下してE組に落ちている。

その背景を知った殺せんせーは、片岡の面倒見の良さや責任感は素晴らしいことを伝える一方で、時には相手の自立心を育てることも大事だと諭す。

そして——

殺せんせー
殺せんせー

「こいつならどんなにしがみついても沈まない」

そう思うと、人は自力で泳ぐ事をやめてしまう
それは彼女のためになりません

とも伝え、同級生が自力で泳げるようになるように殺せんせーは人肌脱ぐことにしたのであった。

責任感を持つことはいいこと?

この話はアニメにはなくて漫画だけにある話で、片岡メグに焦点を当てた時間(話)です。
暗殺教室が好きなところの一つに、すべての生徒に対してそれぞれのストーリーを用意してくれているところ。
メインキャラクターである潮田渚・茅野カエデ・赤羽業以外の話が結構面白いんです(^^)v

それで、今回の「溺れる時間」ですが、読んだときに共感したことが2つあります。

1つ目が責任感の話です。
責任感は依存とは違って、あるといいものとして使われる言葉です。

「責任感を持つことが大事」というように言われています。

けれど、責任感を持っている人をテレビで見かけることもなく、身の回りにいない。
そんな状況では、責任感を持っている人がどんなイメージなのかわかるわけもありません。

だから、片岡のように責任感を持つということは相手に頼りにされたら期待に応えることと認識してしまう人も少なくないと思います。
ぼくもいつの間にかそのように認識していて、まさに片岡と同じような状況に見舞われたことがあります。

誰かのために行動してきて、それが相手にとって期待通りであれば賞賛され、相手にとって不都合であれば裏切り者と言われたり、罵倒の嵐。

でも、結局その時って、自分が悪いわけでも、相手が悪いわけでもなく、お互い様なんですよね。
相手はぼくのことを頼りたいと思っているのに対して、ぼくは相手から頼りにしてほしいというお互いの望みが叶って一緒にいたのです。

このような関係は共依存と呼ばれています。
お互いに望んで共依存になっているのであれば、それを良いとするのか、悪いとするのかは本人たちが決めることですよね。
だから、共依存=悪いとは言い切れないとぼくは考えています。

ただ、もし相手との関係について自分が望んでいないのであれば、関係性を見直すチャンス。
今回の話で言えば、片岡が責任感を持ちすぎて、頼ってくる相手の期待に応え続けていたこれまでの関係。それに対して、これからどういう関係になりたいのか、ということ。

互いに足を引っ張りあっているとしたら

共依存の関係は何も特別な関係ではありません。
自分がリーダーであっても、そうでなくても日常生活で普通に形成される可能性があります。

そして、ぼくが共依存で互いに足を引っ張りあっていると感じた現場が、これまで務めていたことのある職場です。
派遣社員として複数の会社に所属したことがありますが、どの職場でもお互いに引っ張りあっているシーンが日々ありました。

異なる部署で互いに「相手が悪い」と陰口を挟みつつ、自分たちから歩み寄ることは決してない。
でも、その関係は切り離せないから、事態がどんどん悪化していく・・・。

自分はそういった部署間を取り持つポジションにいることが多くて、自分自身の経験を活かすことができる場面がかなりありました。
けれど、不思議なのはその関係を解消しようと働きかけると、なぜか双方から反発を受けるんです(T . T)

事態を解消してほしいと言われて働きかけているのに、自分たちが変わるのは嫌なようで。

結局事態改善に奮闘し続けて悟ったこと——それは、「互いに今の関係でいたいんだ」ということ。
愚痴を言う相手が欲しいのか、仕事がうまく回らなくて仕事をしている感を出したいのか・・・
何を本当は望んでいるのかは分かりませんが、、、

以上、このような環境にいることができたことで、ぼくは望んでいない関係があるのであれば自分が行動を変える必要があることを学んだのでした。

注意
相手との関係を変えたければ、自分から行動を変えるしかない。
その行動ができないのであれば、自分はその現状を望んでいるということを知るべし

あとがき

余談ですが、この話でもう一つ思い出すのが大学時代友人とよく遊びに行ったボーリング場での出来事。

よく2対2でスコア合計値を競い合っていたんですが、、、
なぜかみんなぼくが一緒のペアになるとスコアを落とし、ぼくと敵対すると自己ベストを出すようなスコアを出すんですよ。

それで友人たちにそのことを抗議したら——

友人A
友人A

いや〜、おかちゃんと一緒だと自分が頑張らなくても勝てると思うんだよね

友人B
友人B

そうそう!

でも、敵対しているときは自分が頑張らなくちゃいけない気になるよな!

友人C
友人C

確かに!

おかちゃんせんせい
おかちゃんせんせい

・・・おいおい

「確かに」・・・じゃねーだろー!!
って、心の中で叫んでいたことを思い出しました(笑)

頼りにされるのは嬉しいけれど、頼りっきりにするのは勘弁してほしいと思ったことを、懐かしく思い出しました。

みなさんは仲の良い人たちと依存関係でいたいですか?
それとも、互いに自立した関係でいたいですか?

自立と依存の違いは、その相手がいなくても普通に日常生活を送ることができるかどうかです。
依存よりも自立の方が良いとかいう風な判断ではなく、あくまで自分がどうしたいのかで決めていきましょう!


最後まで読んでいただきありがとうございました!

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