こんにちは、おかちゃんせんせいです!
少し前の話になりますが、9月1日は防災訓練の日でしたね。
学校や会社に通っていないと、何の日だったか考える機会もないですが・・・
その日はたまたま保育園の保護者会があって、他の保護者の方々と話したり、会話を聞く機会があったりしたので、ある過去の貴重な体験のことを思い出しました。
2011年3月11日——東日本大震災の日のことを。
目次
非常事態で見られる人の本性
震災のあった頃、ぼくは秋葉原のあるビルの最上階で派遣社員として働いていました。
そのフロアでは、ぼくの他に派遣社員2名と契約社員1名(男2人・女1人)。
他は正社員が働いていて、ぼくが所属していたチームには上司である正社員2人。
そのうちの部長である上司Aは、何かにつけて別室に呼び出して叱りつけてくるぼくにとって厄介な存在でした。
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「お前のために言ってるんだぞ」
が口癖で、やれ「責任を持って仕事をしろ」とか、やれ「責任感が足りないぞ」とか言ってきて。
そもそも、派遣社員なので責任持てない・持たせてもらえないことが多くて、正社員である上司たちがやらなくちゃ先に進まないことを突っ込まれることが圧倒的に多くて、当時のストレスの種になっていた。
当時はそういう状況だということは理解できていたけれど、上司の言うことに反論することもできず、ただ謝罪して黙々と仕事をするしかない日々が続く。
そんな日が続いていての、震災の当日。
突然ビルが横揺れして、しばらく激しく揺れ動いていた。
ある程度振動がおさまった頃、フロア内が慌ただしくなり、正社員の人たちが慌てて帰り支度をしているのがわかった。
どうやら、今いるビルよりも安全な駅前の本社ビルに避難するつもりのようだった。
ぼくや他の派遣社員の方々も同じように帰り支度を始めていたら、帰り支度をしていた上司Aが現れて——
あ〜、君たち正社員以外は念のためここに残って。
正社員と女性は本社ビルに避難するから。
えっ!?
残ってどうすればいいんですか?
後で指示を出すから、とにかく待機だ
・・・
それだけ言うと、上司Aは一目散に本社ビルへと避難していったのです。
「後で指示を出す」と言っても、そもそも会社の電話は繋がらないし、携帯同士も繋がらない。
そんな中でどうやって指示を出すんじゃい!!
って思ったのは、ぼくを含めた取り残された正社員ではない男子3人の共通認識だった。
結局定時まで待機していたけれど、当然それまで一切指示はなし。
ネット回線は繋がっていたから、ずっと揺れ続けているビルでぼくは黙々と仕事を続けていた。
途中、フロアの壁が剥がれ落ちたり、ヒビが入ったりする度にビクビクしながら。
さすがに定時になっても指示がなければ、これ以上待っても仕方ないと思い、正社員で一人だけ待機していた他の部署の上司の許可を得て、ぼくは帰宅することに決めた。
秋葉原の街並みは別に建物が崩壊しているわけでも、灯りが付かなくなったわけでもないので、一見すると今までと変わらない様子。
しかし、駅前にある自転車屋で行列ができていたり、普段滅多にしない道が渋滞していたり。
そんな様子を眺めながら、とにかく電車も動いていないから、家までの約10キロを走って帰ることに。
途中震災のことよりも上司Aの態度に悶々としていたことも、走っている最中にだいぶ気が紛れた。
そして、週があけて、いつも通り出社すると、上司Aからは何も謝罪や弁明はなく、いつも通りに威張っていた。
その姿を見て、
(こうはなりたくない!)
と強く思ったのであった。
……
…………
………………
結局、上司は何かにつけて『責任』と言う言葉を使っていたけれど、非常時には上司としての『責任』は何も果たしてくれず、会社は自社の社員以外は守ってくれるつもりもないんだと思い知りました。
後に、別の会社で正社員であっても守ってくれないことを思い知りましたが、そのことはまた後日。
手綱は誰が握る
あの震災での出来事があるまでは、色々不平不満はありましたが上司に従っていれば大丈夫だと思っていました。
しかし、上司には上司の都合があり、その都合次第ではぼくにとって受け入れ難い事態になることを体験でき、以来ぼくは上司であろうと思っていることがあれば必ず伝えようと心に決めたのです。
そして、他人に手綱を握らせるのは危険だとも感じ、まずは自分なりに考えて、その上で判断しようと決めたのもあの震災での出来事がきっかけに。
おかげで、周囲がどうだからという基準ではなく自分で考える習慣がついたので、厄介な上司の存在は今となっては有り難かったのだと思えるようになったのです。
もしあの出来事がなけれど、今のコロちゃん情勢に不安や恐れを抱き続けていたかもしれません。
自分で考えて判断すると言うことは、当然責任は自分で持つということで。
けれど、いろんな会社に入って感じたことは、自分に責任を持とうとする人はほとんど見かけませんでした。
「責任を持つということは、何かあれば自分のせいになるから」というのが言い分のようですが……
その点、ぼくが恵まれていたのは、直属の上司はそういった責任感のある人が多かったので、責任を持つ姿を見せてもらえたことは大きな収穫だったと感じています。
自分で責任を持つと決めている人の共通の特徴は、発想や態度が柔軟で自由であること。
記事を書きながら、改めて自分はどうありたいのか考えるきっかけになりました。
みなさんにとって、日常生活で何か思い知ったことはありますか?
最後まで読んでいただき、ありがとうございました!