こんにちは、おかちゃんです!
最近当ブログに検索でヒットする中で、一番多いのが『大川繁子 3歳児神話』というワードです。
特に記事として3歳児神話について書いたことはありませんでしたが、この機会に自分なりの見解を記事にまとめることにしました。
目次
そもそも3歳児神話とは?
三歳児神話(さんさいじしんわ)とは、以下の意味で使用される。
Wikipediaより引用
1. 子供が3歳になるまでは母親は子育てに専念すべきであり、そうしないと成長に悪影響を及ぼすという考え方。
2.「3歳頃までの脳の成長は重要である」という命題のこと。平成10年(1998年)版『厚生白書』、国会議事録の一部は定義2の意味で使われている。日本赤ちゃん学会ではこの定義も並行して扱われた。
3. 三歳児神話、という用語が持つ「悪影響がある」とする考え方を否定的にみなすニュアンスそのもの。つまり「悪影響があるというのは疑わしい」といった意味合い。
この3歳児神話の広がったきっかけは日本ではなく、昭和26年にイギリスの精神医学者であるボウルビィの報告書にある、下記内容にあると言われています。
WHO(世界保健機構)からの委託を受け、孤児院などで乳児の心身の発達の遅れが多い要因を検討。『母性的な養育が欠けていることがその原因』と指摘したのです。
NHK生活情報ブログより引用
その報告書から端を発して、戦後の日本において『3歳児神話』が言われるようになってきたようです。
現在の注目度
ただ、ぼく自身は正直3歳児神話というのを知らなかった側の人間でしたので、実際神話が言われ出して70年近く経って、どのくらいどのように注目されているのか調査してみることに。
肯定的意見
言葉的に肯定と受け取れるようなツイートは、2年くらい遡ってみても特になし。
否定的意見
大半は『3歳児神話』という言葉に対して、否定的な意見・解釈ばかり。
女性だけではなく、男性の意見も多いことから、まだ根強く残っている神話の可能性がある。
考察
あくまでTwitterに投稿されている内容や、Google検索してヒットした記事を拝見して率直に感じたことは
「『3歳児神話』という論争は正直両極端すぎて、子育ての参考にならない」
ということ。
なぜそのような印象を受けたのかについて整理してみます。
『3歳児神話』は作られたもの感がある
まず『3歳児神話』の肯定意見も否定意見も当てにならないと感じたのは、そもそも『3歳児神話』という言葉自体がある意図を持って作られた感があると感じたから。
意図した言葉は使い方次第で、情報操作による誘導が簡単にできてしまいます。
いわゆる流行語ってやつです。
ひと昔で言うと、「KY(空気読めない)」。
直近で言うと、「クラスター」と言うワード。
例えば、みなさんの身近で「クラスター」と言うワードを見聞きしたら、どのように感じますか?
おそらくテレビのニュースを普段観ている方は、不安や恐怖を抱くのではないでしょうか。
先日近所の方々と話をしていて、その人の会社でクラスターが発生したという話になりました。
けれど、話をよーく伺ってみると、検査で陽性になった全員は結局何も症状が起きなかったそうです……。
また、「クラスター」と言うワードが使われ始めた2年前の当初、「病院の医療従事者が集団で感染した」という報道がありました。
また、直近でも時々報道されていますが、、、クラスター報道で共通している点は2点。
- 陽性者=感染者としていること。
- 陽性だった人がどんな症状が出ているのか明記していないこと。
そんな内容で「信じろ」「従え」と言われても困るし、
肯定する判断材料は何もありません。
だからこそ、報道を冷静に受け止めてみると、
「で、何が言いたの?」
とついついツッコミを入れたくなります。
話が逸れてしまいましたが、『3歳児神話』に関しても同様のことが言えます。
判断するのに必要な情報はほとんど揃っていない。
それなのに、言葉だけが世間を一人歩きしているようです。
どちらの意見も一部で全体を視ようとしている?
なるべく情報を判断するときに意識していることが、1つあります。
それは
一部で全体を視ようとしていないか?
と言う点です。
どういうことかと言うと、例えば日本である韓国人の方が悪さをしたとします。
そのときに、『当事者ではない他の韓国人の方々も悪者だと認識していないか?』と言うことです。
よくあるあるな話です。
他にもぼくの世代が17歳の時に、同じ年齢の子がニュース沙汰になる事件を度々起こしていたから、何もしていないぼくらまでキレる17歳として認識されていました。
一部の情報は確かな情報かもしれません。
しかし、それを誇張して表現してしまうと、結果的に事実と大きくねじ曲がってしまい、それが原因で歴史上争いが起き続けています。
一部で判断する方が深く考えなくてよくて一見すると楽ですが、そういった情報は得てして発信者の思惑が必ずあります。
だから、なんらしかの情報について考えるときには、正しいかどうかで判断するのではなく、発信者の意図を感じ取った上で自己責任で判断することが大事だと、ぼくは考えています。
結局のところ何を大事にしたいのか?
保育園選びの記事でも書いていますが、はっきり言ってこの手の論争に絶対的な正しさは存在しません。
誰がどのように解釈するかによって、正しく見えることもあるし、間違っているようにも見えます。
ぼくの知り合いでも二人の異なるタイプのお母さんがいます。
ぼくの友人Sちゃんは自宅で子育ては自分には合わないと感じて、子どもが小さいときから園に預けて日中は仕事に専念しています。
一方、妻の友人は自宅で子どもと一緒に遊ぶのが好きで、幼稚園に入園できる年齢の娘さんがいても園には入れずに自宅で子育てをしています。
どちらの子どもたちにも共通しているのは、日中親と一緒だろうが、そうではなかろうが、元気に育っていること。そして、両親と子どもたちの仲も良いことです。
つまり、『3歳児神話』どうこうよりも、母親としてどのように子どもたちと接する方が良いと考えているのか?
父親としてはどうなのか?
問題はただそれだけではないでしょうか。
『3歳児神話』を信じていても、自宅で子育てをすることを「無理して……」と感じている人は、園に入れることを検討した方が良いかもしれません。
逆に、子どもと遊ぶことが心から好きな人は、自宅で子育てを楽しむことを優先する方が良いかもしれません。
結局のところ、世間的にこうした方が良いと言う最適解はなくて、
「家族の一員として、何を大事にしていきたいのか?」
ということの方が子育てする上で重要だと、ぼくは捉えています。
まとめ
我が子たちはお母さんが大好きです。
特に長男は生まれてから3年間ずっと一緒だったので、お母さんから離れてしまうことを避けようとする傾向があります。
けれど、そのこと自体によし悪しはないと思います。
長男は保育園に入園して4歳になってからますます自分で考えて遊んだり、自主的にお手伝いができるようになったりしており、頼もしい一面を垣間見る瞬間が増えてきています。
「すぐに何でもできるようになってほしい」という想いをどうしても抱いてしまいますが、世間的にどうかとか、誰かがどう言っているかではなくて、目の前にいる子どもと接する時間を我が家では大切にしていきたいです。
みなさんはどんな時間を大切にしていきたいですか?
最後まで読んでいただき、ありがとうございました!