こんにちは、おかちゃんです!
はじまりのまちの大事にしていることの一つで、やりたいことをまずやるというのがあります。
しかし、そのやりたいことをまずやるということを妨げる思考の一つについて、今日はピックアップしたいと思います。
テーマは
言いたいことが言えないのはなぜ?
です。
目次
どんな環境で育ってきたのかがキーポイントになる
みなさんはやりたいことがやれずいることや、なかなかやれなかったことはこれまでにありますか?
私はやりたいことがあったのに、なかなかやれないことはかなりありました。
自分の中ではやりたいことはすぐにやってきたつもりだったのですが……実際に向き合ってみると、その度にポロポロとやりたかったことが出てきたのが昨年のことでした。
では、なぜやりたいことがやれずにいることがあるのでしょうか?
やりたいことがやれずにいる理由については先日記事にまとめました通り、
やらない理由はやらない方がいいと自分自身が思っているから
というのがベースにあります。
なぜそう思ってしまうかについては下記記事をご覧いただき、今回はそのような思考がどうして生まれてしまうのかについて考えてみたいと思います。
何かうまくいかないとき、初めてのケースに遭遇したとき、自分では判断できないときに無意識に生じる思考は、これまで育ってきた環境での日常生活の繰り返しによって形成されています。
例えば、小さい頃から何か挑戦しようとしたときに、両親や大人の判断で「危ないから止めなさい!」と注意され続けた子は、だんだん新しいことにチャレンジしようとする意欲が次第に低下していきます。
なぜなら、やろうとしても必ず両親・大人に注意されるのが当たり前になっているから。
すると、
新しいことにチャレンジしたいと思った瞬間——
「でも、どうせやろうとしても注意されて止められるから、やろうとするだけ無駄だよね……」
という思考が生じてしまい、せっかく湧き上がった意欲も急速に低下してしまうのです。
だから、どんなにやる気や夢や目標があってもすぐに諦めてしまう傾向がある方は、やる気がないからでも、夢や目標が明確ではないからでもなく、物事をつい諦めてしまう思考が形成されているのが要因な可能性が非常に高いです。
昨年のことですが、栃木県佐野市にあるとても広い公園で自分の子どもたち遊んでいるところや、園児たちが先生に連れられて遊びにきました。
そこで、園児たちは自由に遊ぶのかと思いきや、先生が遊ぶ場所を指定したり、遊び方をあれこれ指示を出していたのです!(◎_◎;)
さらに個人的にびっくりしたのが、園児たちが何も文句を言うことなく、静かにそれに従っている光景——当時3歳だった長男でも余裕で遊べる遊具を、ひとまわり体格が良い子たちが先生に注意されて遊べていない光景を見て、絶対にここの園に子どもたちを入れたくないと思ったことを、今でも覚えています。
そんな環境が当たり前の環境として育てられたら、意欲的な子に育つのでしょうか?
言いたいことが言えるようになりますでしょうか?
思考は認識することによって変えることができる
私自身はというと、社会人3年目までは「本当は言いたいことがあるんだけど……😭」ということがあっても、なかなか言えずにいることが多かったです。
例えば、会社の上司との会話で——
上司「まだ資料できていないのか?」
私 「データがまだ登録されていなくて、数値を集計できません」
上司「だったら、早く担当者に連絡して入力してもらえよ」
私「(だから、何度も言ってるように、派遣社員が何度言っても優先順位が低くてスルーされるから、あんたが話をつけてくれるって言ったでしょ!?)……はい、わかりました」
というのがよくありました💦
何かにつけて偉そうに言ってきた後に個室に連れて行かれて、「お前のために言っているんだからな」と何度も言われて。。。
ところが、2011年3月11日の震災時。
私がいた岩本町にある8階建ビルの8階は地震が終わってもずっと揺れ続き、壁が一部剥がれ落ちてきていて、しかも携帯電話が通話できない状況に。
そんな状況の中、派遣社員だったのでとりあえずその上司の指示を待っていたら、上司のとった行動は——『派遣社員だけ置いて自分はイノ一番に安全な本社ビルに逃げる』でした。
「後で指示を出すから、それまで待機な」という捨て台詞を残して退散していき、「そもそも電話が使えない状況で、どうやって指示を出すんだー!」とツッコミを入れる余地すらありませんでした。
結局何時間待っても一切指示はこなくて、他の部署の上司が心配になってきてくれて家に帰ることができました。
それで、週明けに何か弁明があるのかと思いきや、一言も謝罪や心配している様子もない上司を見て、私の中で何かがプツッと切れる感じがしたのです。
怒鳴られることは嫌だ。
でも、私のために言ってくれているならばとこれまで許容してきた——
けれど、もうさすがにあんたに何も言えないのはもっと嫌だ!
そういった想いを自覚したことで初めて、
会社は自分を守ってはくれない。
自分の身は自分で守らなければいけない。
ということを痛感し、身の危険や意にそぐわないことがあれば、しっかりと相手に意志を伝えないと何も伝わらないし、何も状況は変わらないことを学びました。
あれ以来、私は少しずつですが、言いたいことがあれば他の部署の上司だろうがまずは伝えてみるということを続けていき、ようやく今では社長に対してでも言いにくいことも伝えることができるようになっています。
当時のことを思い出してみても、言いたいことが言えずにいるときは、相手の立場を考えると言う勇気がなかったと言うよりも、「どうせ言っても無駄だ」という思考が強かったように感じました。
そして、私の場合の「どうせ言っても無駄」という思考は、母親とのやり取りによって形成されたことに気づいたのも、震災後でした。
ある意味、上司がそのことに気づかせてくれるきっかけをくれたのかもしれません。
一度気づくことができ、認識できれば、あとは「だったらどうする?」という問いかけができます。
問いかけができれば、あとどうしたいのか、どうするのかの決定権を自分で握ることができるので、少なくともやらずに後悔する、言わずに後悔するということはなくなっていくでしょう。
いや〜、震災のことを思い出すと、必ずあの上司がトンズラする姿を思い出してしまいますw
あの光景を見ていなかったら、もしかしたら今でも言いたいことが言えずに鬱憤をためる日常を過ごしていたかもしれません。
そう思うと、確かに上司の行動は私のためになっていたので、感謝しかありません。
言いたいことが言えない状態が当たり前になっていたとしても、平気でいることができる人はきっといないと思います。
平気そうに振る舞っていたとしても、意識できていなかったとしても、気づかないうちに鬱憤を溜めていってしまい、心身のストレスが過多になると体を壊してしまいます。
以前にも記事に書きましたが、
反町さんが歌っているように、本当に言いたいことが言えない世の中はPOISONです!
やりたいことがやれずに悩んでいる方や、今後の進路を考えてもどうしたらいいかわからずにいる方は、一度「日常生活を過ごす中で言いたいことが言えずにいないか?」をチェックしてみてはいかがでしょうか?
本当は声を大にして言いたいことが隠れているかもしれませんので。
確かに言っても何も変わらないかもしれません。
ただ、一度だけではなく、何度も言い続けることで変わるかもしれません。
自分の気持ち、感じていることを大事にしてくださいね。
最後まで読んでいただき、ありがとうございました!