こんにちは、おかちゃんせんせいです!
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友人との会話に違和感
昨日は久しぶりの地元の同級生と再会しました。
彼らとは少なくとも小学1年生の頃からの友人で、お互い違う高校に通うようになるまでよく遊んでいました。
同じ部活にも所属していたこともあり、一緒に子どもたちだけで旅行も行ったことも。
けれど、高校卒業して特にぼくが関東に引っ越したときから15年経ちましたが、その間疎遠な状態は続いていたのもあるからか、昨日は違和感を何度も襲われました。
友人たちは目の前にいるし、同じ思い出を共有して話が盛り上がっても、その感覚はますます高まるばかりで。
「その原因はなんだろう?」
って会話をしながら考えていたら、ぱっと浮かんだイメージは住んでいる世界が違う感覚。
物質的な世界というよりも、もっと概念的な感じ。
価値観・考え方とか、大事にしていることとか、何に従っているのかとか。
2年以上前に知ったミナミ・A・アシュタールの情報を思い出しました。
ご機嫌な日常生活を送るために参考にしている情報
まぁ、『宇宙人』の話だったり、これまでぼくらが教わってきた歴史とは全然違った情報だったりするので、陰謀論として片付けられそうですが、、、
個人的にはご機嫌な日常生活で参考にしたい情報が盛り沢山なので、すごく重宝しています。
情報発信はブログだけでなく、本も数冊出版していたり、超次元ライブという形でYouTube番組も発信されています。
ぼくがなぜ情報を参考にしているのかというと、一方的な情報ではないから。
「この話が真実だから信じなさいよ」というような暗黙的なスタンスではなく、「私たちはこの話を真実だと思っているけれど、それを信じるかどうかは自分で考えて判断してみて」というようなスタンス。
人によっては無責任に感じるかもしれませんが、ぼくは彼らのスタンスと発言がブレることがないので、参考にさせていただいています。
住んでいる世界が変われば争う意味がない
今までは自分が正しいと思ったことを信じて突き進んできて、自分と意見が違う人と対面した時には対立のエネルギーをバリバリ出していました。
当然ですが相手にも正しいと信じていることがあって、どれだけ話をしても話は平行線。
お互い信じていることを相手に信じ込ませようと必死だけれど……。
けれど、お互い大事にしていることがあるなら対立する必要はなくて、自分は自分の世界観を大事にするだけでいい。
そうすれば、相手の大事にしている世界観も大事にできるから。
それで互いに不利益を被りそうと感じれば、そっと離れればいい。
そのように割り切れるようになってきたので、最近の人付き合いはとても楽になっています。
自分と意見が合わない存在に対しては、対立するのではなくそっと離れる
が、ご機嫌な日常生活を送る上でぼくが大事にしている心構えの一つです。
どんな世界観にいたいかは自分で決める
世界観の話になると、いつも思い出すある句があります。
幕末の動乱を生きた若者の一人——高杉晋作の句です。
おもしろき事もなき世をおもしろく
高杉晋作 & 野村望東尼
住みなすものは心なりけり
この句は解釈の仕方によって意味合いが全く変わってしまいます。
下記リンク先でも紹介している通り、高杉晋作が詠んだ上句の部分は、「俺が世界を面白く変えてやるぜー!」的な野心のある意味に捉えることもできます。
ただ、高杉晋作を看病した野村望東尼が付け加えたとされる下句によって、上記の解釈ではない別の解釈が浮かび上がってきます。
住みなすものは心なりけり
この部分を付け加えることで、
面白く感じるか感じないかは自分の心持ち次第
という意味合いになります。
今世の中的には、不安・恐怖で煽る事件や現象が頻発しているかもしれません。
けれど、それらの出来事自体に意味はなくて、どのように解釈・受け取るかは自分次第——私たち次第ってこと。
そのことを踏まえて、みなさんは今これからどんな世界に住んでいたいですか?