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歴史から学んだこと〜キングダム編:手段の目的化〜

こんにちは、おかちゃんせんせいです!

最近ガリレオの新作映画をレンタル視聴した流れで、キングダム2劇場版も視聴。

そうしたら、またアニメ版キングダムを観たくなって、気になる話だけチョイスして観ています。

特に、キングダム第4シーズンの秦王・嬴政と、秦の宰相・呂不韋との長年続いた権力争い最終局面の話で「これって・・・」と感じることがありました。

それは、最近何度かテーマとして取り扱った手段の目的化に関すること。

天下について政と呂不韋が語り合う場面で、戦争をこの世からなくすのを「武力でですか」という呂不韋の問いに対して——

嬴政
嬴政

武力でだ

俺は戦国の王の一人だ
戦争からは離れられぬ運命にある

ならば俺の代で終わらす

暴君のそしりを受けようが力でっ・・・

中華を分け隔たりなく
上も下もなく一つにする

そうすれば必ず俺の次の世は
人が人を殺さなくてすむ世界となる

どうしてもキングダムの話に触れると、キングダムの嬴政と教科書で得た程度の知識で知っている始皇帝のイメージとはかなり乖離している感じがしていましたが、一つ合点がいくところがありました。

キングダムのベースとなっている史記がどのくらい史実のなのかの議論はここではしません。

あくまで上記嬴政のセリフから重要だと感じたのは、
そうすれば必ず俺の次の世は
人が人を殺さなくてすむ世界となる

という箇所。

そんな世界をつくるため(目的)に15年計画で中華統一を目指した(手段)わけですが、いつからか手段が目的化してしまったのではないかと。

気づかないうちに手段が目的化していた!? 進学することや就職すること、資格を取ることが目的になっていないか?

・国家単位での貨幣や計量単位の統一
・批判する儒家・方士の弾圧
・書物の規制を行った焚書坑儒

上記のことは思想や考え方を統一するために実施したことかもしれませんが、それが人が人を殺さなくてすむ世界をつくるために必要となる手段だったのでしょうか。

きっと中華統一したものの、なかなか思ったような平和な世の中が作れず。
次の世に託すにはまだまだ自分が王として君臨する必要があると考えるようになり、不老不死を求めるようになったのではないか。

という仮説を立てれば、キングダムの世界観の嬴政と、自分が知っていた部分的知識が繋がった感じが!?

とはいえ、全然史記のことは知らないので、今の世の中で知られている歴史のことをまずは知りたくなりました。

いきなり文章を読む気にはなれなかったので、まずは漫画で読んでみることにw

歴史は正しい知識を身につけるためというよりも、語られる歴史から何を学び、今の日常生活で活かすことが大事だと私は考えています。

正しさの追求は全然楽しくないのでw

史記を読んでみて、また感じるところがありましたら記事を書きますね♪( ´θ`)ノ



最後まで読んでいただき、ありがとうございました!

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