こんにちは、おかちゃんせんせいです!
昨日は友人から誘いを受けて、高崎の花火大会を観に行ってきました。
息子たちは大きな音が響いてくるのに慣れていないからか、怖くなってすぐに友人の家の中に入ってしまいましたがw
昼過ぎには屋台が出ている街中まで車で行こうとしましたが、ちょうど外出しようとしたタイミングで雨が降ってしまい……。
ただ、せっかくだからと思って、街中にくりだしてみると雨なのに屋台は普通に営業しているし、太鼓の演奏もしていて、人もけっこう集まっていた。
こうやって人の多いところに行くといつも考えてしまうのは、
風邪や花粉の流行はいつになったら終息するのかなぁ
ということ。
なぜ、そう思うのかって?
だって、みんなマスクしてるんだもん。
目次
そもそも、マスクをなぜするのか?
どんなタイミングで人はマスクをするものなのでしょうか?
ということを考えると、外出中にマスクをする必要があるタイミングって、風邪で咳が出ている時や、花粉症の時ぐらいかなって。
あとは、芸能人やプロ選手のような個人的理由で素顔を隠すという理由もあるかもしれない。
けれど、マスク自体に風邪を予防する効果ってあると思いますか?
というよりも、過去風邪を予防するためにマスクをつけ続けていたことはありますか?
答えは、NOではないでしょうか。
仮に、マスクに風邪を予防する効果があるのであれば、今世間を騒がせているコロちゃん騒動は絶対にすぐに終息したはずです。
だって、99%以上の人が日常的にマスクを付けているはずなのだから。
けれど、現状マスクをしている人たちが感染したことになっているという事実。
そして、感染症予防が徹底できているはずの看護士の方々が、ソッコーで感染したことになっている事実。
そのことをあなたならどう考えていますか?
与えられる情報に依存するような環境
別にぼくは医療の専門家ではないですが、与えられる情報が信じるに値するかどうかは考えてみればすぐにわかります。
たいていミスリードの情報は、テレビや新聞などのメディアを大々的に取り上げて、専門家がしゃしゃり出てきて発言している情報。
権威と、専門用語を巧みに使って、いかにも真実かのように語る。
長い世界の歴史で、人心掌握する常套手段です。
日本の四大公害の一つである水俣病も、ミスリードの情報によって事態が悪化し、真実が明らかになるのに10年以上かかっています。
分析する上で、自分で考える上で一番NGなのは、情報の発信源が有名人や著名人だったり、発信手段がテレビだったりすると安易に信じてしまうことです。
はじまりの書〜分析の章 Vol1. 心構え編〜そうなってしまった経緯は、自分で考えたり覚えたり習慣が日常生活でなくなりつつあるからだとぼくは考えています。
例えば、携帯電話が普及したことで、昔のように電話番号を暗記したり、電話帳に記録したりする必要がなくなりました。
また、カーナビが普及したことで、昔のように地図を読み解いたり、道順・ルートを把握したりする必要がなくなりました。
他にも技術発展に伴い、便利なツールが出てきたことで楽になったことが増えた反面、ぼくたちが考えて何かを決断する機会は急減しています。
だから、考えずに楽して決めたい思考の構築に拍車をかけているのではないでしょうか。
脱・考えずに楽して決めたい思考
結局自分で考えなくなるとどうなるかというと、誰かに手綱を渡すことになります。
つまり、仮にテレビの言う通りに従って自身にとって不都合な状況に陥っても、文句は言えない状況になるということです。
ただ、だいたいそういう状況になって一番文句を言うのは、ただ言う通りに従ってきた人たちだったりしますが(^^;
【心の叫び】「任せる」って言うなら最後まで任せてほしいことってありませんか?そう言う状況を目の当たりにするたびに、やっぱりぼくは自分で考えて選択できる人でいたいと思うし、子どもたちにもそうあってほしいと願っています。
とはいえ、自分で考える習慣がなかった人がいきなり考えることができるようになるわけもなく。
だからこそ、ぼくは自分で考えることができるきっかけ創りをしたいと思う。
きっかけ作りに必要なのは、何か新しい知識というよりも、可能な限り不特定多数の情報からのインプットを減らすことの方が大事だと考えています。
日常生活を過ごすために不要な情報のインプットが無くならない限りは、新しい情報や考え方は受け入れにくいはずですから。
最後まで読んでいただき、ありがとうございました!