こんにちは、おかちゃんせんせいです!
昨夜お風呂に入っているときに、
「このテーマでブログを書きたい!」
と思ったことを今回ピックアップしたいと思います。
テーマは
粋か? 野暮か?
です。
粋か?
野暮か?
そもそも粋や野暮は辞書的にはどのような意味があるのでしょうか。
1 気質・態度・身なりなどがさっぱりとあかぬけしていて、しかも色気があること。また、そのさま。「—な姿」「—な柄」「—な店」⇔野暮 (やぼ) 。
2 人情の機微、特に男女関係についてよく理解していること。また、そのさま。「—な計らい」⇔野暮。
3 花柳界の事情に通じていること。また、花柳界。「—筋」⇔野暮。
出典:デジタル大辞泉(小学館)
なんとか意味が分かりそうで、分からない感じ。
元々自分がそれらの言葉に興味を持ったきっかけは、かれこれ10年以上前に江戸しぐさという言葉と出会ったこと。
今調べてみると、江戸しぐさという言葉は空想・創作という批判もあるようで。
もちろんその言葉の信ぴょう性も大事かもしれない。
けれど、そんなことを言い始めたら、歴史の教科書で書いてあることだって、仮説のものだったり、根拠がないものだったりしたことがほとんどのはず。
書いてあることがコロコロ変わるくらいですから。
なので、本当に大事なことって何だろうって考えてみると、、、
正しい間違いという視点だけで物事を捉えることなく、
それについて自分はどう考え、どう行動するか?
ではないでしょうか。
ダメ出しだけをしたい批判家になりたければ、もちろんその限りではないですが。
そういった相手のことを批判するだけで終わる記事やニュースを見ていると、
「この人は野暮だなー」
って思う。
ただ、私自身について向き合ったとき、
粋か野暮かという判断基準を相手に委ねてしまって、自分を見失ったことが過去何度かある。
粋な選択をしようと意識はしていたけれど、
結局のところ粋がりすぎてしまって八方美人的な——それこそ、相手にとって都合の良いだけの人間に成り下がっていた気がする。
じゃあどうすれば良かったのか?
正直過去の選択の是非を今更しても、あまり意味がない。
今どうしていくかの方が今重要だから。
相手を思いやる時の気遣いとしての粋な計らいは大事だと思う一方で、それが相手への押し付けになるだけあれば考え直したいところ。
例えば、その筆頭がお土産。
どこか旅行に行って、本当に美味しい食べ物があって、それを他の人と分かち合いたいからプレゼントするならまだしても、旅行=お土産的な感じで買ってきたものをもらっても正直私は嬉しくない。
そのお土産から相手の方の気持ち・想いが伝わってこないから。
それなのに、
「相手がくれたから自分もお土産を買わなきゃ」
という思考でお土産を買って、それをプレゼントし合う関係はどうなんだろう。
そう自分に問いかけてみると、
相手がどうこう以前に素直に自分自身が喜べない。
お土産をあげることも、もらうことも。
今回のテーマである粋か野暮かについてはあまり掘り下げることはできなかったけれど、
粋か野暮かに明確な線引きや固定な意味合いはなくて、
人や環境によっていくらでも物差しは変わるものだということはわかった。
もう少し粋について向き合ってみたいと感じているので、
上のリンク先でも紹介していた本を読んでみることに決めました。
読み終わったらマインドマップで描いて整理したいと思います。
最後まで読んでいただき、ありがとうございました!