こんにちは、おかちゃんせんせいです!
今の活動をしたいと思うようになった想いの原点シリーズ。
前回はマインドマップとの出合い編をお届けしました。
第4回目は、
東日本大震災編
です。
- 東日本大震災時に感じたこと
- 今まで感じていた違和感が表面化
- 日常生活で今でも役に立っていること
目次
マインドマップで自分とまずは向き合ってみる
今回のテーマについても前回までと同様で、まずはマインドマップで描くことで自分と向き合ってみた。
セントラルイメージ(真ん中の絵)は、今まで見せていた顔と別の顔が露呈しているイメージ。
もう……なんだろう。
描いている最中にあの時感じた疑問や心配、憤慨していたときの感情が、一気にあふれてきた。
前回までの3回描いてきた内容、そのときの出来事の経験がこのとき活きていたことを、振り返ってみて改めて実感した。
今まで感じていた違和感が表面化「どういうこと!?」
東日本大震災での出来事は、間違いなく自分の生き方を変える、決めた大きな出来事でした。
被災した内容というよりも、今まで感じていた違和感の正体というか本性を目の当たりにして。
「このままで本当にいいのか?」
ということを真剣に考えるきっかけになりました。
今まで感じていた違和感というのが2つ。
一つは当時勤めていた会社の上司の言動。
もう一つは、TV番組(ニュース)の報道内容。
特に違和感の塊だった、一つ目。
当時、私は派遣社員として秋葉原で勤めていました。
そのときの上司はなにかにつけて個室に呼び出してきて、納得いかないことがあると叱りつけてくる上司でした。
「お前のためにいってるんだぞ」
というのが口癖で。
でも、その納得いかない内容というのが、派遣社員としての業務を越えたところ、むしろ上司が調整しなければいけない案件だったので、正直自分の方がなぜ叱られなくちゃいけないのか納得できなくて。
けれど、期待通りのことができていなかったのは確かなのと、自分のために言ってくれているならと思って我慢してきました。
そんな最中に起きた震災。
当時9階建てビルの最上階にいたフロアはめっちゃ揺れて、地震がなくてもずっと揺れている感じ。
不安な会話がフロアで交わされるようになった頃、社員は安全なビルである本社に避難することが決まったという話が。
すると、その上司は荷物を持って一目散に本社に逃げていって。
自分たちへの指示、声掛けも一切なく……。
仕方なく、もう一人の上司に確認してみると、本社に避難できるのは社員と派遣社員の女性だけ。
「じゃあ、自分たちはどうすればいいですか?」と質問してみると、
「……このままここで待機していてください。あとで指示を出しますので」と言ってその上司も避難していってしまったのです。
そう言われてしまうと、自分以外の派遣社員と契約社員の3名は待機するしかなくて。
ずっと揺れ続いていて、地震で壁が一部はがれてしまっているビルの中で。
指示が出るのを3時間くらいずっと待っていましたが、電話は使えなかったのでいつまで経っても指示はなく。
もうこんなところにはいたくない、と思って別の部署の上司に相談して私だけ帰宅することに。
道路は車で渋滞。
今まで行列になっているのを見たことがないサイクルショップに長蛇の列ができているのを不思議に思いながら、家までの(歩いて3時間かかる)道のりを走って帰ることに。
帰宅後、家の中は特に異常はなくて、電気も使えていました。
そこで、私はまずはふっと落ち着くためにお餅を焼いて、それを食べながらマインドマップを描くことに。
できすぎていますが、、、
マインドマップ講座を受講して21日間チャレンジを達成したのが、震災の前日でした。
「次の新しいステージに進んでいくんだ」
というイメージのセントラルイメージを描いたあとだったのです。
そのマップを見返してたから、改めて今感じていることをマインドマップで描いた上で決めたことがあります。
それは、
今まで通りの日常を過ごそう
です。
確かに被災地では今まで通りというのは難しかったかと思いますが、少なくとも自分自身に限っていえば無暗に不安がる必要はないことに気がついたのです。
TVのニュースではあれこれ報道されていましたが、いろんな情報が錯そうしていて。
実際、あの頃報道されていたような放射能による被害って、ほとんどなかったのではないでしょうか。
あのあと、東北に住んでいる友人からも話を聴きましたが、そういった話は一切ありませんでした。
一体全体、どういうことなのでしょうか?
後日談として、震災後の翌営業日に上司に会った際に、上司からは指示がないままだったことの謝罪などの一言は一切ありませんでした……。
震災を通して私が決心したこと
この震災での出来事を通して、私が決めたことがあります。
それは、
一旦周りがどうこうという前に、自分でまずは考えてみること
です。
ニュースなどで報道されている内容は、目の前の自分の置かれている現状とは異なる可能性が高い。
だからこそ、
自分の置かれている状況はどうなのか?
その上で、
自分はどうする?
そういった自分でまずは考えることが大切さを、身をもって思い知ったからこそ決心できたのかもしれません。
そして、今回の出来事で得た教訓はこれです。
○○のためという一言(強要)は、本当は誰のため?
「あなたのために言ってるんだぞ」
と言ってくれている相手は、本当に自分のことを思って言ってくれいるのか?
仮に、その通りに行動して事態が悪化したら、責任をとってくれるのでしょうか?
この後、震災後にお世話になった方や、叔父からも言われましたが――正直、先ほどの上司と同じような印象しか受けませんでした。
実際、今では全く関りがありませんので、
その場限りのことだった
ということが露呈しています。
今回の東日本大震災編での一連の流れから気がついたのは、以下3つです。
- 「○○のために」という言葉は諸刃の剣
- 自分で考えることができないと周囲に流されやすくなる
- 不測の事態にこそ、人の本性が出る
「あなたのために」という言葉は、あくまでそう言った相手があなたをコントロールしたいときに使ってしまう台詞だと、私は捉えています。
「国民のため」「家族のため」「友人のため」
それらの「○○のため」という発言に、一体どれだけ責任感があるのでしょうか。
「まずは自分で考えてみる」ということができるようになったおかげで、これまで感じた違和感の正体を気づくことができるようになりました。
そうすることで、周りの言動や行動で、右往左往することがなくなり、日常生活でフラットでいることができる。
そういった土台が、この震災での出来事がキッカケでできるようになったのです。
このような背景があったからこそ、誰かに対して――もちろん私の子どもたちにも「あなた(たち)のために」という言葉は一切使わないようにしています。
みなさんは、日頃どんなシーンで「○○のために」という言葉を使っていますか?
今回の話が、みなさんの何かお役に立てば幸いです。
最後まで読んでいただき、ありがとうございました!
※次回は最終回、「ユウサミイさんの「Flag」との出合い」です。