こんにちは、おかちゃんせんせいです!
先週末子どもたちが通っている保育園の夏祭りがあって、その準備に今年は役員の一人として関わることに。
そして、一昨日には夏祭りや今後予定される遠足の話があって、イベントの立ち上げから関われるまたとないチャンス。
人が関われば、当然うまくいくこともあれば、うまくいかないこともある。
たまたまうまくいってしまったことは次には活かしにくいけれど、
うまくいかなかったことは次のイベントに活かすことができるので、
ドンドン改良していける感じが自分は好きなのかも。
そして、園の行事に関わっていくと、時々フッと自分への問いかけがやってくることがある。
「なぜここにきたのか?」
と。
理由はいくつかある。
他の人から質問された時にいつも答えているのは、
子どもたちを通わせたいと思う園が、いくつか探したり見学したりする中で見つかったのが、小俣幼児生活団だけだった
ということ。
他にもありますが、
地元にそのまま残るという選択肢ではなく、
身内も誰もいない足利に引っ越すのを最終的に決めた基準・要因がある。
その基準の参考になったドラマとドラマの主題歌があって、
最近またドラマを見直したいという欲求が高まっている。
ドラマのタイトルは、
僕らは奇跡でできている
です。
とにかく学びの多いドラマで、
もう一度見直したら「いまを生きる」のように、
ブログでぜひ特集したい。
そして、基準として決める際に参考になったのが、
上記ドラマの主題歌「予感」の歌詞の特にサビの部分。
予感のする方へ 心が夢中になる方へ
正解なんてあってないようなものさ 人生は自由
今予感のする方へ 会いたい自分がいる方へ
人の目なんてあってないようなものさ 感性は自由
判断の基準はいくらでもあり、
よく基準になるのは「仕事」や「お金」ではないでしょうか。
どこか引っ越すということであれば、
「家」
というのも基準になる人は多いはず。
ただ、我が家は持ち家はないし、仕事はどこでもやっていける根拠のない自信はあったから、そういった基準は度外視。
最終的には、
近い将来をイメージした時に、
心が夢中になれる選択肢はどちらか?
こうありたいと考えている自分に会えるのはどちらか?
と問いかけた時に、答えは自然と一つに絞られた。
だから、今でも判断に迷った時には、
上記の問いかけを自分にするようにしている。
そのほうが絶対に後悔がないから。
なぜなら、
自分ではない要因で決めるよりも、
自分の要因で決めたことだから。
良いことが起きたとしても、
悪いことが起きたとしても、
どちらも自分ごととして受け止めることができる。
毎日をご機嫌で過ごすためには、
必須となる心構えかなっと。
みなさんも何か大きな決断をするときには、
誰かからのアドバイスや
周囲の目、一般的な判断基準ではなく、
自分の心に問いかけてみてはいかがでしょうか。
それでは、今日も一日絶好調!