自分を活かして 相手を活かして 今を活かす

【子育て日記】存在しない◯名を付けられるって恐ろしい〜原因とは関係のない◯◯◯に意味はある?〜

こんにちは、おかちゃんです!

以前も友人のお子さんの件で聞いたことがありましたが、改めて同じような話を聞くたびに恐ろしいと感じることがあります。

それが、
発達障害
という言葉です。

発達障害は、生まれつきみられる脳の働き方の違いにより、幼児のうちから行動面や情緒面に特徴がある状態です。そのため、養育者が育児の悩みを抱えたり、子どもが生きづらさを感じたりすることもあります。

厚生省Webページ

厚生省のページによると、発達障害には、自閉スペクトラム症、注意欠如・多動症(ADHD)、学習症(学習障害)、チック症、吃音などが含まれていて、生まれつきの特性と書いてあります。

いろんな症状の名前があるようですが、、、
本当に生まれつきの特性なのでしょうか?

特性というよりも、改善しなければならない欠点かのように感じるのは私だけでしょうか?

欠点だと認識させるために病名をつけて、改善しなければならないことと定義。
そのことがほかの人よりも劣っているかのような扱いを受けさせてしまう引き金になっているのではないでしょうか。

例えば、吃音ですが話す時に最初の一音に詰まってしまうなど、言葉が滑らかに出てこない発話障害の1つとされています。

しかし、先日散髪をお願いした美容師の方の話では、そうなってしまう原因は子どもにはないケースも十分にあることを裏付ける話でした。
美容師さんの息子さんが突然吃音になってしまったそうですが、きっかけは明らかに幼稚園に通うようになってから。
当時の保育士さんが怖くて、思うように話せなくなったのがそもそも原因だったそうです。

これって生まれつきの特性なのでしょうか?

他にも注意欠如・多動症(ADHD)という大層な病名がつけられているものもありますが、これはただ日本の教育・授業システムがつまらないから、子どもたちはジッとしていることができないだけではないでしょうか。

我が子も基本ジッとしていませんが、興味のあることであれば真剣にずっと一つのことに夢中に取り組みます。
それこそ話しかけても全く聞こえないくらいにw

もしその子の特性が原因ではないとしたら、薬を飲んだり、リハビリをして何か成果が出るのでしょうか?

なんか学校や医者の対応の話を聞く度に違和感しかありません。

小学生の時に今でいうADHDに認定されてしまい、特別支援クラスに入れられた友人もいます。
彼は高校までまったく授業中でも勉強せず、授業中もずっと漫画を読んでいたそうで、問題児扱いをずっと受け続けてきました。
けれど、大学進学にあたり、どうしても受験したい大学ができたので、浪人時代にバイトをしながら必死になって小学校からの遅れを一気に取り戻すために猛勉強。
わずか1年間の勉強で12年分の遅れを取り戻し、見事志望校に合格できたそうです。

もしADHDが発達障害だとするのであれば、友人はいつまで経っても勉強したことは身に付かなかったと思います。
しかし、友人の話を聞くと、高校生までは勉強は意味がないからやらないと決めていただけだそうなので。
むしろ自主性の高い子どもだったからこそ、許容が小さい学校システムの枠組みでは問題児扱い(出る杭を打つ対象)になったのかもしれません。

発達障害から話は変わりますが、うつ病というものもあります。
うつ病と診断されたのを克服した人の話を聞くと、共通しているのは薬を飲んでいる時が一番酷くて、薬を飲まなずうつ病を辞めると宣言したら、自然と症状は回復していったと聞きます。

私自身も発達障害の話ではないですが、アトピー性皮膚炎と診断されて薬を処方されている時には一向に治りませんでしたが、自分で治すと決めてから薬を処方しなくても以前のように悪化することはなくなっています。

出る杭を打つ(順従な人を増やす)ために、どんどん新しい病名を作るのは本当にやめてほしいです。

薬で完全に克服した人の話なんか私は一度も聞いたことがない一方で、医者の方と話しても薬か手術をしないと治らないと言う方が大半。
なんせ病名が増えれば、その分薬も売れるだけのことですから。

何か今までにない症状が起きたとしたら、必ず自分の日常生活に原因があります。
それを外的な日常生活に関係のない薬で治るわけがないです。

アトピー性皮膚炎にしても、薬を処方したり何かするよりも、お風呂に入らなくして肌が乾燥することを防ぐ方がよっぽど効果的だったりします。

医者に薬を処方されて今までになかった副作用で悩むことになっても、正直医者は何も責任を取れないし、取ってくれません。
それは医者に限ったことではなくて、誰に対しても言えます。

今ですと、「感染症予防のためにマスクを必ず着用」というのが勝手に当たり前にされています。
しかし、そのマスクをずっとし続ける副作用を度外視していることのリスクに気づけず、知らぬまま副作用に悩まされるようになったとしても、国はもちろん誰も責任はとってくれません。

そもそも感染症がマスクで防げるのかという、根本的な問題もあります。
本当は医者も感染症の実態について、誰も把握できていないのではないのかもしれません。


子育ては選択の連続というアドバイスを長男が出産した時に助産師さんから受けましたが、特に子どもを持つ親は何も考えずになんでも鵜呑みにするのは怖すぎることを、改めて実感している今日この頃です。

まずは自分から、周りの風潮に流されずに現状を冷静に把握して、責任を持った決断ができるようにこれからも心がけていきたいと思います!


最後まで読んでいただき、ありがとうございました!

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です

CAPTCHA