こんにちは、おかちゃんせんせいです!
塾の受講生に出した課題について、
昨日はなぜその課題を出したのかについて意図をお伝えさせていただきました。
課題は
1日1つ疑問に思うことを記録する
です。
なぜこの課題を出しのかというと、
疑問に思ったことを考える習慣を日常生活でつくるため
です。
子どもたちと接することになって実感するのは
子どもたちは疑問に対してとても素直
だということ。
もちろんまだ正しさや当たり前の認識が、大人よりは少ないためだとは思いますが。
ただ、だからこそ好奇心が生まれ、
びっくりするほどの学習能力を発揮する瞬間を何度も目撃しています。
それに対して、自分たち大人は学校教育やサラリーマン社会で
二極論で考えること
多数決で決めること
世間の常識
を刷り込まれてきました。
そのため、自分で考えることよりももっとも正しいだろうと思われる発言を無条件で信じがち。
するとどうなるか?
当然自分で考えなくなるので、疑問に思うことがなくなります。
疑問に思うことがなくなれば、好奇心がなくなっていきます。
好奇心がなくなれば、刺激を外に外に求めるようになります。
だからこそ、娯楽の存在が必要不可欠になってしまいます。
また、疑問に思うことがなくなると、
現状をしっかり確認せずにわかったつもりになりがち。
わかったつもりになるとどうなると思いますか?
当然わかっていると思い込んでいるから、
改めてそのことを確認しようとすることも、
理解しようとすることもなくなります。
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この思考パターンに陥っている人は、
学習の姿勢がとても受動的。
必要な情報や、自分に合う情報を他者から与えてくれているのをずっと待ってしまいます。
まるで、池の中にいる鯉のように。。。
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これまでマインドマップ講座を通じてたくさんの方にお伝えさせていただきましたが、能動的な学習姿勢があると感じた大人は全体の1割程度。
あとの大半の方は、待ちの姿勢。
自分にとってわかりやすい情報、正しいと思われる情報を与えてもらえることを期待しているのです。
まさに受験生だった頃の自分がそんな姿勢だったから、同じ姿勢の人たちの気持ちがとってもわかります。
その方が楽に、効率的に学習できる、理解できると錯覚しまうから。
けれど、楽にというのが自分で考えずにすむことに対する楽さであるならば、楽さの追求はますます考える機会を失うことにも繋がります。
考える機会がなくなれば、受け取った情報を咀嚼する力――理解し、再利用できるように自分自身に落とし込む力も当然失われます。
ある意味、流動食ばかり食べるようになってかたさのある食材を食べなくなり、咀嚼する顎の力がなくなるイメージに近いです。
また、最近のAIブームがまさにその傾向を促進させていると感じています。
確かにAIがあることで、いろいろな作業が楽になります。
考えて作業する必要がなくなり、必要そうな情報がパッと手に入り、これまで手作業していた工数も大幅に削減できるかもしれません。
考える必要がなくなれば、当然記憶しようという意識・意欲も当然失われます。
その例が、携帯電話の普及によって電話番号を覚える必要がなくなり、自分の携帯番号すら覚えていない人が少なくないこと。
なにせ、電話帳に登録さえしておけば、次は掛けたい相手の名前を検索することで電話をかけることができてしまうから。
自分が子どもの頃は携帯電話がなかったので、電話帳に必要な電話番号を記録し、発信するときには毎回その番号を手打ちしていました。
そのため、よく電話している友達の家の電話番号も当時は普通に暗記していましたが、今は妻の電話番号ですら正直怪しいです。
便利になることは有難いと思うことが多いですが、
便利になることで同時に失われるものがあること。
それは、目に見えるものではないかもしれないので、
気付いた時にはすでに失われている可能性があること。
あくまで自分は、
自分で感じて、考えて行動することを大事にする
と決めています。
だからこそ、同じような想いの人たちと繋がりたいと思うし、そうしていきたいと感じている人たちに向けてこれからも情報を発信していきたいと思います!
最後まで読んでいただき、ありがとうございました!