こんにちは、おかちゃんせんせいです!
昨日は保育園の保護者会が夜にあり、自転車で出かけようとしたのですが——
まさかのそのタイミングで雨がザァーザァーと(T ^ T)
仕方なくレインコートを着て出かけようとしたら——
なぜか自転車の下にパン切れが落ちていましたw
おそらく次男くんが先週自転車乗りながら食べていたパン。
雨に濡れて明らかにふやけていて触りたくなかったけれど、
そのまま放置するわけにもいかず。
仕方なく手に取ったところ、
衝撃的な事実に気がつきました!
それは、
1週間近く放置したパンなのに、
全く腐っていないこと。
それに、虫たちが食べた形跡もないこと。
「何でだろう?」
って考えてみると、腐らない・虫に食べられない原因がパンにあるのは明らか。
みなさんはなぜだと思いますか?
ここではあえて、今回のことについて詳細なことは書きません。
わからなくてもいい。
知らなくてもいい。
なぜなら、わからないなら・知らないなら調べればいいことですから。
子どもたちはそれを日常生活で当たり前で実践しており、
私にとってはいつも良い刺激になっています。
大人になっていくとつい達観してしまったり、
考えること自体が億劫になってしまったりして、
多数意見やもっともそうな意見に依存しがちになります。
そうするとどうなるか?
当然自分では考えなくなります。
考えなくなれば、周囲の情報やテレビの情報に流されやすくなり、ご機嫌が自分では取りにくい環境ができやすくなってしまうのです。
知識がないから
経験がないから
などという理由で自分で考えないのはもっともそうな理由に聞こえますが、だからと言って考えることが無意味ということではないはず。
どんなにもっともそうな意見を聞いたとしても、それが今のあなたの現状にとって最適な答えとは限りません。
例えば、「明日は雨が降るでしょう」と天気予報で言っていたとしても、場所によって降るか降らないか異なるかと思います。
それと同じで、誰かが言ったことを受け入れるかどうかは、それが自分にとっても言えることなのかは冷静に考えてみればわかることが多いです。
今もまだコロちゃん騒ぎをしているようですが、、、
まずは目の前で起きている現状と照らし合わせて、自分でしっかり考えてみると疑問に感じる点がいくつも出てくるかと思います。
その際には、
正解を求めるのではなく、
考えてみたことを感じることがポイントです。
はっきりとした理由や原因がわからなかったとしても、
自分で考えてみたことであれば「あれ、なんかおかしいぞ」と感じることはできるはずです。
その感覚がとっても大事だと、私は考えています。
正解することが大事な学校教育では決して身につかない思考ではありますが、
日常生活をご機嫌で過ごすためには大事なポイントだと思うので、
これからも考えてみるきっかけをブログで提供していきたいです。
最後まで読んでいただき、ありがとうございました!