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【歴Pro】歴史を学ぶのか、歴史に学ぶのか

こんにちは、おかちゃんせんせいです!

今日のブログを書こうと思った時に、フッと「歴史に学ぶ」というテーマで書きたくなり、内容を全く考えていないまま書き始めていますw

とはいえ、
「ただ歴史に学ぶだけだとなんかインパクトが足りないなぁ」
と感じたので、今回のタイトルにしました。

歴史を学ぶのか、歴史に学ぶのか

◆お知らせ◆

【まとめ記事】

現在、これまで書いてきた記事をテーマ別にまとめています。

詳しくはこちらから

両者は似ているようでゴールが異なる

歴史を学ぶがゴール

歴史というと皆さんはどんなことをイメージしますか?

また、どんな思い出がありますか?

私の妻や身近な友人に質問したところ、「暗記のイメージがある」という答えが返ってきました。
暗記——つまり、学校の授業で歴史を覚えるために暗記したから、歴史=暗記のイメージがあるようです。

暗記が楽しいと思っている人なら歴史に良いイメージがあるかもしれませんが、これまで私が質問したこと方に共通しているのは歴史=嫌なイメージということ。

テストに出るから、仕方なく歴史の内容を暗記したとすると、そうなるかもしれません。

上記の状態が、まさにテストで良い点数をとるために歴史学ぶことがゴールになっている姿勢・思考です。
つまり、テストで良い点数をとることしか頭にないということです。

そのような思考であれば、確かに歴史を学ぶ必要はないと私も思います。

歴史に学ぶがゴール

しかし、その思考とは別で違うところをゴールとしていたらどうでしょうか?

例えば、環境問題に取り組みたいと考えた場合には江戸時代の循環社会の仕組みがとても参考になります。

江戸時代では排泄物は悪いもの、処分するものという扱いを受けず、むしろ排泄物は農作物の肥料として重宝されていました。
なので、お金や野菜と交換され、排泄物は有益なものという扱いを受けていたことになります。

ところが、現代ではどうでしょうか?
リサイクルという言葉が流行っていますが、現代のリサイクルには結局化石燃料を使って燃焼したり、薬剤を使って溶かす必要があります。
ということは、資源の再利用と言いつつも、その裏側では他の資源を消費する仕組みになっているので循環にはなっていません。

ということは、もし環境問題に取り組み、循環型社会を構築したいと考えているのであれば、循環される仕組み創りがどのくらい大事かお分かりいただけると思います。

環境問題を意識して江戸時代の循環型社会を学んでいれば、現在の一般的なリサイクルは最初から破綻していることが分かるでしょう。

つまり、歴史に学ぶとは日常生活で活かすことがゴールになっているので、歴史=社会に出ても役に立たないという思考にはならない、ということです。

歴史は繰り返されていることを知る

日本史でも世界史でも、学校の授業で習う大半の歴史は戦争の歴史です。

日本史でいえば、弥生時代末期から。
世界史でいえば、それよりさらに前の四大文明以前から続いています。

戦争の根本となっているのは所有の概念で、何かの所有を巡って奪い合うというのがベースにあります。

けれど、歴史は勝者が作るものなので、奪った・侵略したでは体裁が悪い。
そこで必要になるのが大義名分。

攻める口実をいかに作るががポイントになる、ということです。

日本でいえば、古くは紀元前後。
ちょうど桃太郎伝説で有名な備前地方も、平定という名の下でヤマト王権に統治されました。

【歴Pro】歴史に興味を持つきっかけになるアニメ・漫画・ドラマ・小説特集4選Part.1(原始時代〜平安時代)


西洋の場合はマッチポンプが常套手段で、自分で事件を引き起こして、自分で解決して優位な状況を作る。
または、宗教の経典の名の下に侵略戦争——十字軍の遠征などが当たり前に行われてきています。

自分で問題やもめごとを起こしておいてから収拾を持ちかけ、何らかの報酬を受け取ろうとすること。また、その人。マッチで火を付けてポンプで消火するという二役を一人でこなす意。

goo国語辞典

近年でこそ戦争という形は少なくなりましたが、異なる形では戦争と同じアプローチが当たり前に使われています。

そのことを見抜くための一番の着目点は、利益を一番得ることのできる存在の動向です。
もっと別の言い方をすると、大義名分を得ようと躍起になっている存在の動向です。

例えば、以前にも水俣病に関する記事を書きましたが、水俣病の原因について実は発症者が出始めてから1年後には特定できていました。

しかし、利権絡みでその情報はもみ消され、有名大学の教授の発言が重要視されてしまい、結局事実を利権側が認めるのに10年以上の歳月がかかってしまっています。

この有名大学の教授とか、科学的根拠とか言うのを前面に出しているときや、あからさまに不安や恐怖を引き起こすような情報が出回っているときは要注意。

東日本大震災の時に、これでもかというくらいがん検診を促すCMが放映されたことがあります。
ところが、この時は即バッシングを受けて、すぐにそのCMは流れなくなったことがありました。

もし本当にがん検診が必要であれば、そんなことで情報の発信を止めることはないと思います。
放送の内容を変えたり、頻度を少なくしたり工夫すればいいのに、そうはしなかったわけです。

だから、途中で方針を変えて、被曝すると危険な状態になるアピールをニュースで度々するようにして、不安・恐怖を煽る作戦に出ました。

けれど、あれから12年経ちますが、みなさんはそんなに被曝して深刻な事態になっている人の話を聞きますか?
私は東北地方に友人が何人かいて、震災後何度か秋田・青森・岩手に足を運んでいますが、そんな話は一切聞かないし、友人もバリバリ元気一杯。

こういった不安・恐怖を煽るパターンは他にも戦後何度も使われている、いわゆる常套手段です。

この不安・恐怖を煽る作戦は、その常套手段の存在を知らない人には効果覿面なので、近年のコロちゃん騒動でも使われまくっています。

【歴Pro】日本で歴史が避けられてしまいやすいワケ

まとめ

歴史に学んでいる方々からすると、おそらく近年の騒動は不安や恐怖よりも、「またかよ〜」とため息がきっと出たのではないでしょうか。

別に権力者や周りにただ従って生きることを選んだ人にとってはどうでもいい話かと思います。
一方で、自分の人生は自分で決めて生きたいと考えている方は、歴史を学ぶのではなく、歴史に学んで日常生活に活かすことを意識してみてはいかがでしょうか。

事態が認識できれば、自分で選択できます。
自分で選択できる状況であれば、外的要因に感情が左右されることがなくなり、よりご機嫌でいることがしやすいようになりますので。


最後まで読んでいただき、ありがとうございました!

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