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【妄想小説】アヤメの花 3. 信頼エピローグ
「高1の時に、おかちゃん先生に出会わなかったら、いまこうしておかちゃん先生と同じ、教員になろうなんて思わなかっただろうな」
そう言いながら、冬美は話しに夢中で口を付けていなかった梅酒のグラスを取り、僅かに残った分を一気に呑み干した。
「その、おかちゃん先生には今も会ってるの?」
「ううん。高1の学園祭に招待して以来、会ってないわ」
「「なんで!?」」
「わぁ、わぁ。二人とも詰め寄り過ぎだって! 顔が近いわ」
「……」
いきなり沙耶と朱音に詰め寄られて驚いた冬美であったが、さっきからずっと無言でいる胡桃も理由を知りたがっているように感じた。
「私は——私たちはそれぞれ自分に誓ったの。『これから先どんなことがあっても、周りがどうとかではなく、自分たちで考えて決めて行動していこう』って。もちろんそれは先生のためじゃなくてね。だって、それこそ私の人生なんだから」
元クラスメイトたちは、すでに次々と自分の決めた道に進んでいる。
冬美と、共に学級委員だった寺本を除いて、クラスの大半は就職する中、一人だけすでに独立して自分の店を構えている子もいる。
みんな忙しくて卒業して以来、1年に1回しか会えていないけれど、それぞれ時には思い悩みながらも、きっと自分の人生を楽しんでいるにちがいない、と冬美は確信している。
「だから、冬美が選んだ道が決まるまでは会わないの?」
「そうだね……『いつ』というのは特に決めてなかったけれど、朱音の言う通りそのタイミングかもしれないわ——おかちゃん先生と再会できるのは」
冬美はある予感がしていた。
自分が好きなことを見つけて、それを全力で楽しんでいる先に、おかちゃん先生と再会できる道が開けることを。 「まぁ、いまもきっとどこかで、こそこそ話してるよ、あの人は」
そうと言って微笑んだ冬美を見る胡桃の表情からは、すでに怒りは消えていた。
◇
あれからしばらくおかちゃん先生話で盛り上がった。
しかし、途中からずっと無言だった胡桃が「帰る」と一言だけ言って、お金を置いて勢いよく帰ってしまった。
「……胡桃の話を途中で切っちゃって、悪いことしたわ」
「そんなことないよ、冬美」
「そうそう!」
「えっ、だってあの胡桃がずっと無言だったし——」
中学時代、冬美がバレー部のキャプテンではあったが、いつも話の中心にいるのは副キャプテンの胡桃だった。
号令やコート上での指示は冬美が担当していたが、それ以外のことは話すことが好きな胡桃が仕切ってくれていたのである。
「あの顔はこれまで冬美の前では絶対に見せなかったのにね、朱音?」
「う、うん。そうよね! それだけ冬美の話があの子に響いたってこと」
「そ、そう。ならいいんだけど……」
しばらくは軽い雑談が続いたけれど、この場は一旦お開きすることになった。
いつもなら、食事後はカラオケに直行する流れだったが——
「沙耶はカラオケ行かないの?」
「今日は遠慮しとく。明日、朝早いからさ」
そういっていつも用事があろうとなかろうと一番乗り気な沙耶が、そそくさと先に帰ってしまったのである。
カラオケの主力メンバーである胡桃や沙耶がいないということで、今日の集まりは解散となり、冬美は駅前で朱音と別れて帰途についた。
「変わっていくなぁ」と朱音と別れたあと、しばらくしてから冬美の口からポロリと言葉が漏れた。
久しぶりに再会していないときはみんな変わってなくて嬉しいと思ったけれど、あの頃のような盛り上がりはなくなった。
そのことを寂しいと思う反面、それでも日々変わっていく今が冬美にとってはとても愛おしく感じている。
なぜなら——
「『変わっていく毎日だからこそ、毎日一瞬一瞬が楽しめる』ですよね、おかちゃん先生?」
フッと目に留まった道端に咲いているアヤメの花が、冬美の問いかけに優しく頷いてくれた気がした。