目次
まえがき
妄想講演会のスピンオフとして始まったWeb小説第1弾。
【妄想小説】アヤメの花 プロローグ 妄想からスタートした新企画今回は、主人公の冬美とおかちゃんせんせいこと岡田秋也との出会いの回になります。
邂逅
無気力——何もやる気がわかない状態。
幼い頃からスポーツに励んできた冬美にとって、最も無縁な言葉と中学時代まで思っていた。
そもそも、無気力でいることのできる時間はなく、休日はいつもバレーボールのことで頭が一杯であった。
しかし、高校に進学して約1ヶ月。
ゴールデンウィークが今日で終わる最中、冬美はこれまで何もする気が起きなかった。
高校でもバレー部に所属しているが、中学までと違って休日に練習はない。
当時だったら、そんな環境は羨ましいと思っていたけれど、急に余裕ができても何すればいいかわからず、結局ボ〜ッとテレビを観ているだけで1日が過ぎていく。
携帯には中学時代の友人である沙耶や朱音から、遊びの誘いメッセージが連日届くが、用事があるという偽りの理由で、全て断りの返事をしている。
「私、どこで間違えてしまったの?」
そんな誰も答えることのできない自問自答をしては——「もう私の人生詰んだかも……」と力なく呟き、その度に落ち込む毎日を過ごしている。
「受験で失敗したからといって、あのセンコーの言う通りに従って……あんなつまらない学校にいくんじゃなかったわ」
誰かのせいにすることで、冬美はなんとか精神を保とうとする。そうすることしかできずにいた。
黒澤冬美、私立J高校に通う華の女子高生。
3歳の頃から兄の影響でバレーボールを始め、小中と県選抜に選ばれ続けるくらい実力のある選手。
中学3年生の時には、チームをキャプテンとして全中に導いた実績もあり、他県の強豪高からたくさん声が掛かるほどであった。
そのうち、県内でも1、2を争う名門校であるN高から声が掛かった時には、冬美はものすごく喜んだ。
しかし、肝心の推薦入試前にちょっとしたことでひどく落ち込んでしまい、合格確実と言われていたN高の推薦入試に失敗してしまう。
そのショックが抜けなくて、一般入試でも失敗。
なんとか偏差値が低いJ高には合格したものの、今でも合格発表の会場で自分の番号がない時のショックが抜けないでいた。
そして、行きたくもない高校に通うことになったわけであるが、追い打ちをかけるような状況が冬美を待っていたのである。
まず、各学年に1クラスしか特待生クラスに進学したが、周りの同級生はみんなやる気がまったくないこと。
次に、バレー部に所属したものの、チームとしての実力が県内最弱クラスであること。
そして、極め付けは、担任の女先生であるはずの石川夏帆先生が、産休で5月から学校を休むこと。
心機一転しようと、せっかく意気込んで高校に進学したのにも関わらず、入学して一ヶ月経つ頃には完全にその気持ちは萎えてしまっていたであった。
そんな無気力全開の冬美であったが、中学の頃の癖が抜けず、朝練がないのに朝誰よりも早く登校している。
満員電車に巻き込まれたくない、という想いもあったが、いつも気が付いたら学校に着いている感覚であった。
「どうせ朝早く行っても、誰もいないのに……まぁ、だからいいのか」
いつものように独り言を呟きながら靴箱に靴を入れ、自分の教室へと重い足取りで向かう。
誰もいないはずの教室に向かって、下を向きながら「おはよう」と気怠そうに呟いただけのはずなのに——「お、おはよう! 朝早いな」と男性の声が返ってきて、冬美は慌てて顔を上げる。
「え!?」
すると、教室の窓辺に一人の男性が微笑みを浮かべて立っていた。
制服を着ておらず、顔立ちが大人びて見えたから、生徒ではないことは確かである。
「じゃあ、また後でな」
見知らぬ男性は、そう言いながら私の横をスゥッと通り抜け、教室の外へと出て行ってしまった。
「また後で? ……まさか!?」
そう、これが冬美の人生に大きな影響を与えることになる先生とのファースコンタクトであった。
◇
その後、ホームルームの時間になると、理事長先生と案の定先ほど顔を合わせた男性が教室に姿を現した。
「石川先生に代わり、このクラス担任を臨時に受け持っていただく岡田秋也先生です。それでは、先生——後はよろしくお願いします」
「はい、わかりました」
理事長先生はそれだけ私たちに伝えると、何も心配事がないかのようにリラックスした表情で退室した。
ザワザワする騒がしくなる中、岡田先生は何も動揺することなく、教卓の前に立つ。
そして、特にクラスメイトが騒いでいるのを怒ることもなく、ただ先ほどのように微笑んで冬美たちを見ている。
その様子に気づいたのか自然と生徒たちの喧騒は止み、岡田はにっこりと笑った。
「はじめまして、岡田秋也だ。臨時担任としてみんなのクラスを受け持つことになったが、夏休みまでの短い期間、よろしく頼むな」
まるで友達に話しかけるかのような口調で話しかける相手に、冬美たちはポカ〜ンとしてしまった。
「さて、堅苦しい挨拶は苦手だから就任の挨拶はここまでとして——早速だが、みんな椅子を抜いて、机だけ後ろに移動してくれ。椅子は大きな円を描くように配置しよう。黒澤、ちょっといいか?」
「(なんで私の名前を!?)は、はい。なんでしょうか?」
まさか名簿も見ず、自分の目を見て声を掛けられたことに驚き、冬美はうわずった声で反応してしまった。
「みんなと手分けして、椅子を円陣になるように配置しておいてくれ。あ、俺の椅子を加えてな。俺はちょっと職員室に忘れ物とってくる。お願いできるか?」
「……はい、わかりました」
「センキュウな。じゃあ後はよろしく頼む」
それだけ言うと、先生は意気揚々と教室を出て行っていく。
「冬美、先生と知り合いなの?」
「……ううん、今日初めて会ったわよ」
案の定、いきなり名指しされたことに興味を持った隣りの席の子に話しかけられたけれど、ただ呆然と答えるしかできなかった。
しばらくすると、岡田は荷物を抱えて戻ってきて、教室をぐるっと見渡し、満足そうに頷く。
そして、空いている椅子の前に立つと、冬美に目線を向けたあと、生徒たち全員に向けて「準備ありがとな」と言って座った。
(この人はみんなで手分けして準備したことに気づいているんだ)と、冬美は感じ、これまで感じたことのない何かが心の中で反応した気がした。
「よし、じゃあ早速ホームルームを始めよう。今日はちょうど1限が俺の受け持つ社会だから、そのまま続けるな」
「「「!?」」」
岡田の言葉に、冬美たちは動揺した。
そして、こう思った。
(授業の時間を潰してまでして、一体これから何やらせるんだろう?)と。
冬美たちの様子に気づいているのかいないのか、岡田はこれからやることの説明を始めた。
「今日は自分のライフラインを描いてもらいます。やり方はすごく簡単だから、俺がまず見本を見せるな」
そう言うと、岡田は席を立ち、荷物から画用紙とペンを取り出し、画用紙をホワイトボードに貼った。
「まず、横軸と縦軸を書く。横軸は時間軸、縦軸は……充実度にしよう。そして、まずみんなに決めてもらいたいことがある。それが、「何歳で死ぬか」だ。この日までのみんなの人生の線——つまり、ライフラインを書いていくんだ」
岡田は青ペンで線を書いていく。
生まれてからどんなことがあって、その時どんなことを感じていたのかを説明しながら。
線は山あり谷ありと、曲線を描いていき、あっという間に一本の線——ライフラインが出来上がっていた。
「君たちの場合には、今より先——つまり、高校一年の5月以降は全部未来のライフラインになる。こうなっていくと思ったように自由に描いてみてくれ」
クラスメイトはしぶしぶ怠そうに立ち上がると、用意された画用紙と好きな色のペンを取って教室内で好きな場所に移動し、ライフラインを描き始めた。
冬美は窓際に椅子を持っていき、椅子を机の代わりにして画用紙をセットした。
そして、先生の説明を思い出しながら書いていくと、不思議なくらいペンが進んだ——現時点までは。 その理由を、冬美自身は気づいていた。
(先生と私はとても似てるんだ……悩みまで)
先生のライフラインは中学までは上の方にいたが、高校生になる段階でガクッと下がっていく。
その話のくだりがそっくりなのだったのだ。
バレー部に所属していて、中学までエリートコースをまっしぐらだったのが、受験に失敗して、今までで一番落ち込んだところまで。
だから、現時点までは先生と似たような線になった。
けれど、ここでペンがピタッと止まる。
(これから私はどうしていくんだろう?)
自問自答してもピンとくる答えは出てこない。
それでも、先生は最悪だった高校生活を途中から最高に変えるきっかけがあったように、『私にもきっとその時が来る』と何も根拠のない想いが冬美の心に湧いてきて、残りのラインを書いてみた。
冬美が描き終わった頃、ちょうど制限時間を知らせるアラームが鳴り響く。
再び元の円陣に戻ったところで、一人一人書いた内容を発表することになった。
岡田の両サイドの生徒がジャンケンをして、負けた方から順に発表することになったのだが——
「どうした、塚田?」
いつまで経っても、最初の発表者が下を向いたままで席を立とうとしないので、不審に思った岡田が声を掛ける。
すると、冬美の隣りの席にいる塚田あゆみは突然嗚咽を漏らし始めたのだ。
「……す、すみません、先生。わ、わたし……ヒック。未来の自分が……まったく……思い浮かばなくて。それで——」
泣いている生徒を岡田は宥めるのではなく、ただ落ち着くまで優しく見守っている。
「落ち着いたか?」
「……はい」
「よかったな、何も思い浮かばなくて」
岡田は、なんとそう笑顔で話しかけたのだ。
「……えっ!?」
それには言われた塚田本人だけではなく、声には出さないものの冬美たちも同じ反応だった。
「だって、これから自由に選択できるんだぞ? 誰かに決められた未来ではなく、誰かを気にした未来でもなく。どんな未来になるのか、逆に俺は興味が湧いたぞ」
「……書けなくても、いいんですか?」
「あぁ、いいに決まってる。だって、俺は必ず書けとは言ってなかっただろ?」
「確かに……」
「書いたところまでオッケーだ。言いたくないところは端折ってもいい。好きに話してくれればそれでいい。わかったか?」
「はい!」
先ほどの泣き顔が一転して、塚田は満面の笑みを浮かべて自分のライフラインを語り出したのであった。
いきなりのアクシデントから始まった発表であったが、豹変した塚田の発表を皮切りに、みんなが思い思いに自身のストーリーを語っていく。
冬美は、自分の番で誰にも話せなかった心の葛藤や悩みを打ち明けることができた。
その一方で、クラスメイトの話には何度も心を大きく揺さぶられ、ジーンと涙が込み上げるシーンが何度もあった。
そして、気がついたらクラス20人全員の発表が終わっていた。
「まずは、自分のことを話してありがとう。紆余曲折あって、君たちはここにいる——そのことがよくわかった。そして、これからもあるだろう。だがな、だからと言って逃げ腰になる必要は一切ないぞ。思う存分楽しんで、思う存分悩んでいこう。今だからこそ体験できることだからな——と、ちょうどキリのいいところでチャイムが鳴ったな。じゃあ、今日の授業はここまで」
こうして、社会とはまったく関係ない時間が終わったのである。けれど、冬美は今までにないくらいの充実感を感じている。
そして、冬美にとっては岡田によるこの最初の授業が、生まれて初めて心が揺れ動いた授業として強く記憶に刻まれたのであった。