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【妄想小説】アヤメの花 2. 変容

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【妄想小説】アヤメの花 1. 邂逅

変容

「スッスッ、はっはっ」

6月に入り、校内に咲いているアヤメの花が綺麗に咲き始める。
梅雨前のまだ肌寒い早朝、校舎の周りを快調に走る一人の女の子の姿があった。

しばらく校外を走り終えた彼女は、息を整え始める。

「ふ〜……ようやく調子が戻ってきたわね」

スッキリした笑顔でそう呟く彼女——冬美はちょうど時間になったのを時計で確認して、自主練を終えることにした。 まだ朝7時前、空が晴れ渡る日の朝のことである。

制服に着替えて急いで教室に向かい、「おはようございます、おかちゃん先生!」と言いながら、笑顔で教室のドアを開けて入ると——

「おぅ。おはよう、黒澤!」

おかちゃん先生こと岡田秋也先生が、今日も笑顔で迎えてくれた。
冬美を含むクラスメイトたちが、なぜ岡田先生のことをおかちゃん先生と呼ぶようになったのかというと、話は1週間前まで遡る。

冬美にとって衝撃的な授業となったあの日。 それぞれのライフラインを共有でき、互いの人となりを知るきっかけを得た。
すると、授業が終わる頃には、冬美たち特待生クラスには今までの冷めた雰囲気がなくなっており、まるで長年の友達かのように仲良くなり始めた。
それは岡田に対しても同様で、一部の男子と女子は親しみをこめて「おかちゃん」と呼んぶようになり、いつの間にかその呼称は私たちの共通認識となっていた。

しかし、クラスメイトが職員室で「おかちゃん」とつい呼んでしまったことを、教頭先生に厳重注意されてしまう——「ちゃんと先生をつけなさい」と。

「それなら、おかちゃん先生ならいいですよね?」と、クラスメイトはすかさず言い返し、注意した教頭先生も「お、あぁ。それなら……」と渋々了承してくれたのであった。

以来、冬美たちの学年の間では、『おかちゃん先生』と呼ぶようになったのである。
そういった経緯があったわけであるが、冬美自身はそこまでおかちゃん先生とまだ絡んでいない。

唯一あの日から、朝一番に先生と一対一で挨拶した後に、軽く雑談するくらい。
その後は、冬美は携帯をいじり始めるが、岡田はいつも教卓の隣にある先生の机で何やら集中して作業をしている。

冬美は邪魔して悪いと思い、自分から進んで声を掛けることはないが、クラスメイトが来るまでのこのゆったりとした時間が好きだった。

「黒澤、最近の朝練の調子はどうだ?」

すると、初めて先生の方から冬美に声を掛けてきて、冬美はドキッとして顔をあげた。

「あ、はい! ようやく私の体を動かすことができた、という感じです」

「そうか……うん、そうだろうな」と、冬美の返答にどこか納得した様子の岡田。

「どうしてそう思うんですか?」

「ん? そりゃあ、今日のお前の走りを見ればわかるだろ? こんな離れたところから見ても、安定した体のバランス、走るテンポ。どれも黒澤にピッタリに見えてよぉ……なんか感動した」

「あ、ありがとう、ございます」

そんなに真っ直ぐ褒められたことがなかったのと、走る姿を見られていたことに冬美は恥ずかしさを感じ、その言葉を受け止めるだけで精一杯だった。

ちらっと上目遣いで先生の様子を伺うと、なぜか先生はとても嬉しそうだと冬美は感じた。
(その理由を知りたい) そう思って、冬美は声を掛けることにする。

「先生はどうして——」

「先生、オッハヨー!!」

なぜ嬉しそうなのか理由を尋ねようとしたタイミングで、女子生徒の元気な声が教室中に響き渡る。

「お、塚田か。おはよう! 今日も元気一杯だな」

「はい! 冬美もオッハヨー!!」

「おはよう、あゆみ!」

質問を途中に中断されてしまったのは残念だったけれど、あゆみの登場を快く受け入れた。
なぜなら、冬美は個人的に塚田あゆみという存在が友人として好きになったから。彼女は、今一番仲の良い同姓の友達でもあり、興味の対象でもある。

興味を抱いたきっかけは、やはりライフライン前後での彼女の変化だった。

今ではどこか誰かの顔色を伺っていて、大人しい子だと冬美は思っていた。
しかし、彼女はライフラインを説明していくほど表情が豊かに——そして、魅力的に輝き出したのである。
そんな自分に正直になっていく彼女を目の前にして、冬美は羨ましいと感じた。

しかし、今までなら羨ましい相手は嫉妬の対象だったが、彼女に対してはなぜかそうは思えないのである。

(だから、あゆみに興味が湧いたのよね)

先生ととてもフレンドリーに話している姿を、冬美はまじまじと観察し続けるのであった。





もちろんあの日を境に変わっていったのは、あゆみだけではなかった。
何がきっかけはわからないが、おかちゃん先生が赴任する前とは明らかに違う。

そう変わるきっかけはたくさんあったと、冬美はここ1ヶ月を振り返ってみて感じている。

あゆみのようにライフラインがきっかけの子もいれば、歴史の授業がきっかけの子もいる。

「冬美、最近学校行くの楽しくなったの?」と、つい今朝母親に訊かれた。
訊かれて初めて無気力続きだった自分が、楽しいと思える毎日を過ごしていることに気が付いた。

(きっかけは何だったのかしら? ……やっぱり私の場合は、歴史の授業、かな)
振り返ってみて、冬美はそう確信した。

歴史の授業は石川先生に代わって、おかちゃん先生が引き継ぐことは前々から知っていた。
けれど、どんな先生だろうと、暗記教科が苦手な冬美は「私が絶対に歴史を好きになることはない」と思い込んでいた。
しかし、おかちゃん先生の授業ではタブレット教科書はほとんど使わなかった。
そして、板書もない。
先生の授業スタイルは独特だ。

あるテーマについて先生から出題があり、自分たちで調べて、考えてまとめていくスタイル。
暗記しなければならないと思うどころか、「言われてみれば確かに……」と思うような好奇心を掻き立てるテーマばかりで、冬美は夢中になって取り組むようになった。

たとえば、中学時代では数ページでさらっと流れた、『縄文時代から弥生時代までの移り変わり』というテーマについて。

教科書的に言えば、文明が栄えることで狩猟から稲作に変わったとか、縄文土器ではなく弥生土器が作られるようになったとかという話。
その言葉や、土器の形を覚えるだけで話が終わってしまうような時代に、興味を持てという方が無理だと冬美は思っていた。

しかし、おかちゃん先生の授業では「あの縄文時代はこうで、弥生時代はこうで。これを覚えておきなさい」という流れにはけっしてならない。

「弥生時代に比べて、縄文時代は文明が発達していないんだよな? だったら、なぜそんな文明が発達していない時代に作った土器が、ほとんど原型を留めた状態で発掘されるんだと思う? しかも、その文明が発達していないと言われている縄文土器は、現在の最新技術でも再現できないらしい。さて、そのことを踏まえて、ここで君たちにお題です。縄文時代から弥生時代に変わる間に、一体どんなことが起きたと思いますか? 文明が栄えて変わっていったんじゃないとしたら、何が起きたのかまずは自分なりに考えてみよう」

いきなりそんなお題を出されて、困ったのは冬美だけではなかった。
ただ、教科書の内容を暗記するだけの教科だと思っていた歴史で、いきなり自分で考えろと言われたのだから。
困惑している冬美たちに気が付いたのか、おかちゃん先生はお題を出すだけではなく、考える上でのヒントやキーワードを提示してくれた。

先生はこう言った。

「当たり前に思い込んできた考えは、一切捨てろ」

「時代はいきなり変わらない。必ずそうなっていく流れがある。流れを掴め」

「君たちは探偵だ。探偵の基本は、捜査をしていく中で仮説を立てて、検証・実証していく。まずは、君たちの仮説を立てるための材料を集めることに集中しろ」

普段は穏やかなおかちゃん先生だけれど、歴史の話になると、途端に熱く語り出すのだ。

冬美はその先生の熱量に触発されて、自分なりにまずはネットで調べ始めた。
そして、とにかく調べた内容をノートに書きまくっていく。
すると、大半の情報は教科書と同じことしか書いていないが、時代の背景が書いてある投稿を見つけたとき、ある疑問が思い浮かんだ。

「縄文時代には日本大陸にどんな民族が住んでいたのか?」について、歴史の教科書ではまったく触れられていないのはなぜなんだろう、と。

そこで、冬美は古来から日本大陸にどんな民族がいて、その後どうなっていったのかについて調べてみることにしたのである。

結局この段階でその日の授業は終わってしまったが、冬美は自分で疑問に思ったことが無性に気になってしまい、学校の図書館にわざわざ足を運んで調査を続けた。
まさか自分が進んで歴史の勉強をするとは夢にも思わなかったが、自分で興味を持ったことを調べる時間は楽しい、という体験を冬美は初めて味わったのである。

とにかくおかちゃん先生は、冬美たちがどう考えているのか、考えるのかを大事にしてくれた。そして、日頃からさりげなく考えるきっかけを与えてくれた。

「わからないからやらない。つまらないからやらない。それこそ、そんなつまんない思考に毒されるなよ。わからないことがある——だからこそ、考えるきっかけができて面白いだろ? つまらない——それは君たちがまだつまらない受け取り方をしているからだ。幕末で長州——今の山口県に生まれで、波瀾万丈な人生を生きた高杉晋作さんの辞世の句を知っているか?」

先生はホワイトボードに大きく文字を書いていく。

『おもしろき事もなき世をおもしろく すみなすものはこころなりけり』

「実際には、高杉晋作が詠んだのは前半だけらしいが——この句の意味するところはさっきも言った通り。面白いかどうかは自分のこころ次第、ってことだ。君たちはこれからどんな学園生活を過ごしたいんだ? 今一度自分自身に問いかけてみようぜ」

本当にどこまでも熱い先生だ。
けれど、その熱さのおかげで、冬美も含めて生徒たちは自分で封じ込めてきた個性を取り戻していっている。

冬美は自分自身に問いかけてみた結果、夜寝る前に「もっと体を動かしたい!」「バレーボールがしたい!」という心の叫びが聞こえた気がした。

「思い立った時が吉よね」

そこからの冬美の行動は早かった。次の日から、自主練で校外ランニングを始め、部活にも積極的に自分から関わるようになったのである。

ちなみに、このおかちゃん先生が熱くなると「だからこそ」「それこそ」のように、『こそ』という言葉を強調することから、冬美たちは密かに【こそこそ話】と名付けたのであった。

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【妄想小説】アヤメの花 3. 信頼

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